大都会ではなかった頃の岡山今昔〜

これは大都会岡山アドベントカレンダー2016の23日目の記事です。岡山には合同勉強会 in 大都会岡山のコミュニティがあるそうで、主にその周辺の方が投稿されているところにいきなり飛び込んでみました。知らない人ばかりだと思うので、まずはお前、誰よ?というところからですね。高校時代まで岡山に住んでいて *1 、大学行くために東京に出てきたのが2000年です。

それから東京で就職、結婚、出産、転職などを経て今、ノーチラス・テクノロジーズという会社でソフトウェアエンジニアとして *2 、おもにクラスタ向けジョブキューの開発をしたり、Apache Mesos に関する情報発信 [ 1 ] [ 2 ] [ 3 ] をしたりています。ちゃんと数えたら、次の4月で岡山を出て17年経っていることになります。人生の半分以上をもう東京で過ごしていることになってしまった…とりあえず勢いでエントリーしてみたもの何を書こうか迷って、そんなに若くもないし歴史を語るほどの歳でもないのに今昔とかいうタイトルにして今とても後悔しています。

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というわけで、あまりにネタに困ったので、今日は新橋にある岡山のアンテナショップ(鳥取と合同) に息子と二人で行ってきました(上の写真は、その近所にある小川軒という洋菓子店です。レーズンウィッチというお菓子がとてもおいしいです)。アンテナショップというのは、地方の物産を東京で紹介して町おこしの宣伝をするためのお店です。物産館といってもいいと思いますが、最近はレストランやカフェを併設したり、イートインスペースがあったりするものが多いです。地方では当たり前のものを東京に持ってくると割と珍しかったり、ふつうに市場で買うと割高だったりするのが、ここにくるとサクッといろんなものが手頃な値段で手に入ります。僕のダントツのオススメは香川・愛媛の合同アンテナショップ 香川・愛媛せとうち旬彩館 の2階にあるうどん屋です。東京ではなかなかお目にかかれないクオリティのうどんが、学食のような値段で食べられるので近隣のサラリーマンには人気があるようです。

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これで420円。いろいろトッピングつけれます。で、この店でいろいろ見つけてめぼしいものを買いました。まずはこれ。フルーツがどうこう、吉備団子がどうこう、言われていますが、岡山に住んでいた頃好きだったものNo.1は蒜山ジャージーヨーグルトでした。

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これ昔とはパッケージが違っていて、昔の姿を知りたい方はこちらへどうぞ。

blogs.yahoo.co.jp

この姿を永久に保存したいので 魚拓 もとっておきました。新しいパッケージ、外見は郷愁を全く誘わないのですが…レジの同年代らしき兄さんとこの話をしたところ、中身はあまり変わってない様子。イートインスペースで期待を込めてオープン!!11

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そう、これですこれ。このクリーム層もそのままでした。レジの兄さんによると箱買いする人も多いようです。パッケージは今は昔でしたが、中身は変わっていなかった!素晴らしい。さて他にもいろいろ買いました。

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大手まんぢゅうは妻が好きなので時々食べていて、味が変わっていないことは知っていました。しかしこの後ろの大物、ひるぜん焼そば、なんというか、うんB級ですね…っていう感じでした。これはまあ年に1回くらいでいいかな…

この16年で岡山に何度か戻ってはいるのですが、徐々に情報は増えます。岡山に戻ったときに驚いたことを、驚いた順にいくつか並べてみましょう。

大都会になっていた

幼少時はまだ山陽道も開通していなくて、高速道路も通ってないのでまあ田舎でしたね。岡山駅まで自転車で30分くらいのところに住んでいたのに周囲はまだ田圃も多かったです。日常生活で電車に乗る人は少なく、ほとんどが自動車、バス、自転車などを使って通勤、通学をしていました。地下鉄なんてなかった *3
私が岡山を出たのは2000年でした。ちょうどADSLの普及前夜で、インターネットが庶民のものになるかならないかの頃でした。その頃はまだ岡山は大都会と言われておらず、政令指定都市になれるなんて私は思ってもいませんでした。なので、北区とか南区と言われても一体どこなのか全くわかりません。各区の範囲が広すぎて政令指定都市の無理矢理感が端的に区名に出ているのがとても岡山らしくて味がありますね。

東京で初めて知り合う大学生たちには「岡山って、桃太郎ランドあるんでしょ?行ったことある?」と言われていたのもその頃です。大都会は…いま調べると2006年6月11日放送のNHKトップランナーでアンジェラ・アキがそう言ったことが最初らしいのですが、たしか私の記憶だと、大都会の写真をアップするスレが何度も2chで上がり始めたのは、その頃だったと思います。大都会と言われるようになったのはそういったスレの方が記憶に残っていますね。ところが…数年前に友人の結婚式で岡山に戻ったときは本当に驚いたわけです。

岡山駅西口が本当に大都会になっていた

私の記憶の中の岡山駅はこうでした。

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木造2階建て、時計塔が上にくっついている平和な建物でした。田舎というには少し大きく、都会というには木造ではちょっと不足で、弥生時代からの交通の要衝とは思えない建物。白いペンキがところどころ汚れたり剥がれたりして、どこか親しみのある叔父さんのような風合いのある建物が嫌いではなかったのです。駅前は微妙に綺麗に工事されてはいたものの、よくわからないうざったい時計魚拓)があったりで、嫌いではありませんでした。駅の向かいには普通の商店や民家が並び、少しあるくと奉還町という商店街もありました。奉還町は地元の人がそこそこいて、少し寂れかけてはいたもののシャッター街というわけではありませんでした。

それがなんと、巨大なNHKと巨大なホテル(いやそこに泊まったんだけど)が駅と直結してなんつーか大都会っ!みたいになってしまっていたのです。駅には巨大な2階通路ができてしまってて、しかもそこに大量の自動改札機が並んでてこれじゃあ本当に都会みたいじゃないか、あの寂れた地下通路はなくなってしまったんかい?!と思ったらまだ残っているようなので安心はしました。

岡山駅東口

西口がそう豹変していたからには、東口はもっとすごいことに…と思ったら、あのわけのわからない丸い噴水はそのままだし、まあ住友銀行の建物がまるまるビックカメラになっているくらいであとはあまり変わっていませんでした(地面のブロックは綺麗に敷き直されていたように思う)。こちら側はあまり景色が変わっていなくて、まあ高層マンションが建っているとか、VIVRE21が閉店していたとか、そういうのはありますが、あまり変化していないですね。地下の改札に自動改札機は導入されていたのでしょうか。

むしろまだ旧ダイエーの建物がまだ取り壊されずに居抜きでずっと残っていることに驚きを隠せません。ミスタードーナツもまだ残っているようですね。

国道53号の大カーブ

Street Viewでいうとここです。

ここは以前は交差点ではなくて、交差点の西から南へ大きく曲がるカーブでした。東の道路は計画はされていたみたいですが、そちら側は民家や店舗が並んでいました。夏は道沿いのドブにボウフラが沸いて蚊柱が立っていて、たまに自転車でカーブの内側を通っては蚊柱に裸眼で飛び込んで死にかけるという目に遭っていました。国体をやるためにスタジアムを立て直したようですが、いったいそんな金がどこから湧いてくるのか…

他にも、 OSKフェアレーン岡山 なんかはそのまま残っているみたいです。うーん懐かしいですね。

まとめ

  • 岡山を出て東京でコンピュータ技術者として生計を立てています
  • 岡山、いつの間に大都会(物理)になってたん…?
  • 蒜山ジャージーヨーグルト、昔のままだった(パッケージはオシャレになっていた

*1:途中、父の仕事の都合で何年か留守にしていましたが

*2:そういうロールで役割分担するほど大きな会社でもないんですが

*3:今もない模様