シリコンバレーの記憶と地方自治体

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まだ0x1B歳だがちょっとした懐古話。昔、私はシリコンバレーに行ったことがある。そのときまだ中三。0x0E歳。95年か96年くらい。今もそうだが、当時私が住んでいた岡山市サンノゼ市は姉妹都市提携していて、ボーイスカウトをやっていた私はその交流事業の一環でホームステイ&キャンプ*1サンノゼに行った。
キャンプの前後で二回ホームステイした。当時は「アメリカの家なんてこんなもんかぁ。広いよなぁ〜」と思ったくらいだった。その意味が全く分からなかったが、東京に来て、インターネットが普及するにつれて、

  • 一つ目の家では
    • CATVでインターネットが来ていた
    • Macintoshがあった
  • 二つ目の家では
    • おみやげにintelのえんぴつをもらった
  • どちらもとても裕福な家に見えた

という事実が、サンノゼシリコンバレーの中心都市であることと次第に結びついてきた。何も知らないとは本当に残念なことで、日本に帰っても家には親父の事務用PC98がドーンと客間に転がっているだけ*2でインターネットはなかったし、親は全く違う畑の人なのでその価値なんぞ分かりようもなかった。東京に来て、インターネットに触れて、シリコンバレーというのはすごいところらしいと知って、シリコンバレーはサンフランシスコの南、車で一時間くらい…ってそれサンノゼ?!と思いながら確信を持てずにいた。結局サンノゼとサンフランシスコの間にPalo AltoとかMountain Viewがあったわけで、東京と横浜みたいな関係なのだろう。
さて、私はその価値や意味を分かっていなかったけど、当時から姉妹都市提携をしていた岡山市はそれを理解していたのか?岡山市は大枚はたいてようやく政令指定都市になったわけだが、特に大きな産業といえば水島に工場があるくらいで、せいぜい全ての新幹線が止まること、白桃などのフルーツがとてもおいしい以上の価値はない。そのようなITとはほど遠い町なのだからサンノゼの価値も分からないのだと思う。勿体ないから何かやってほしいよね。サンノゼのベンチャーと提携して岡山市街中心部に公衆無線LAN網を敷設するとか、安定した気候を利用してDCの廃熱で亜熱帯フルーツを栽培するとか、自動車なんかやめて国産DC用サーバ(参考)の組み立て工場をつくるとか、松江がRubyなら岡山はPython技術者を集める(ある程度集まったらサンノゼに出店)とか。

ちなみに、サンノゼは日系人が多い。私がホームステイした家の家族もみんな日本人の顔しているのに流暢な英語を話してアメリカ人みたいな体型をしていた。いや中身はみんなアメリカ人なんだけどね。それでも、西海岸の日系アメリカ人はとても苦労をしてきたはずで、その分とても優しい人たちでした。もちろんこんな歴史は後で知ったんだけど。そもそもこのエッセイも英語で書けよな>俺。。。

*1:ジャンボリーとかではないけど何かのイベントで、北米大陸全体から人が来ていた

*2:親父はほとんど使っていなかったし、俺も使わせてもらえなかったし、そういうコンピュータをハックして遊べるなんて知りもしなかった