出発点はイエメン。世界遺産にもなっている2000年前の高層建築の街シバームは貧しいけれども中東特有の濃密な活気が漂っていて、路地ではナンやトルコの焼き鳥が売られていた。少年が街角で乳香を売っており、そこからこの街がかつては乳香の交易で巨万の富を築いた歴史が紹介される。
次にカメラは街道を北上しイエメンの山奥へ入る。荒涼とした岩山の向こうに広がるのは棚田である(といっても、何を栽培しているかは明かされなかったが麦か何かだろうか)。棚田の麓の村には水道もガスも電気もなく、一日にポリタンク一杯の井戸水で家族が暮らし、教師を雇う金がほとんどないという学校では、狭い教室一杯に児童が詰まっていたが、子供の顔は明るかった。すし詰めという言葉が似合う詰まり具合だったが、彼らの顔に義務感はなかった。
そこから車は一路サウジアラビアの砂漠を北上する。途中ベドウィンの一家に立寄り、そこにはやはり電気も水道もガスもなかったが、男の顔は誇りに満ちていた。観賞用のラクダ育て街に売るのが仕事だという。高いもので一頭$10Kほどするそうだ。20世紀初頭に油田が発見されるまでサウジアラビアの人口の半分はベドウィンの遊牧民だったというが、今では人口の1%にも満たないという。男は「街に出るつもりはない。街には自由がない」といっていた。しかしラクダを飼う柵は金属の針金で囲まれ、近くにトラックが数台置かれていた。どうでもいいか。
車が再び旅路に戻ると、いつの間にか道路が舗装されていた。と同時に油田が見えてきた。車はメッカの玄関口ジッダに到着する。サウジアラビア第二の都市には、オイルマネーで建設された巡礼者専用の空港があり、広さは東京ドーム10個分、世界第二位の面積の空港だという。ところで日本では面積を測る尺度に東京ドームを使うことがどこかで標準化されているのだろうか。東京ドームといってもどの面積なのだろうか。ドームの建物の敷地面積なのか、グラウンドの面積なのか、それとも後楽園全体の面積なのか疑問だ。然るに私は代替も面積尺度として猫の額を提案したい。兎小屋でも構わないし、体積なら雀の涙が相応しいと思う。距離に関しては意見が分かれるところであろうから特に提案はしない。
閑話休題。
空港には、世界中のイスラム国家から人が集まっていた。アフリカ、カザフスタン、東南アジア、等々…。インタビューに答える男性は、「イラン、イラク、インドネシア、トルコ、アフリカ、イギリス、アメリカ…国なんて関係ないさ、みんな兄弟さ」という趣旨のことを言っていた。街に出ると、そこにはオイルマネーで空前の好景気に町中が湧く姿が描かれていた。若者は高級外車を乗り回しノリノリでイスラム音楽を聴いているようだ。しかし酒を飲まない連中が夜に何をするのだろう…という疑問に対して、NHKは華麗にスルーという沈黙を以て答えてくれた。彼らはショッピングをするのだという。そこには黒い衣装を纏った女が「ついつい買いすぎちゃうの」「この(ブランドものらしき)バッグはいくら?」「わかんな〜い」という一昔前を彷彿とさせるバブリーな言葉を吐いていた。ブティックで買ったきらびやかなドレス(西洋人や日本人が着るものとはひと味違った、極彩色のきらびやかなものだ)を、彼女たちは家の中で着るそうだ。旦那にしか見せないのか。そうなると服の意味も少し変わったものになる?
とまれ、カメラは旧市街に赴く。そこは1400年前(というからには、イスラム教の誕生と同時期なのだろう)からあるそうだが、路面を舗装する石畳は剥がれ、建物も石造りなのに「朽ちた」という表現が相応しいくらいだ。そこに暮らす、イエメンからの出稼ぎの4人の男が映し出され、彼らは一人当たり、一日に5千個のパンを作るのが仕事なんだそうだ。そうやって月に4万円ほど稼いで一体何割を仕送りするのだろうか。彼らは仕事が終わると、故郷の写真を観ながら涙目になって床に就いていた。毎夜そうするのだという。彼らの歳は20代から40代後半くらいのように見受けられた。さてカメラは新市街に戻り、夜空高く260mまで打ち上げられる噴水を映していた。ジェットエンジンを使って水圧を出しているという。さてその噴水機は、かつて富を齎した乳香を焼く香炉が象られているとの松平定知のナレーションが流れ、カメラはフェードアウトする。
いつの間にか車はシリアとの国境に達し、国境を越えるとキリスト教徒の村に辿り着いた。岩山の露骨さを差し引けば、海のないモナコのような町並みだ。街路は入り組んでおり、侵略に遭う度に彼らは市街戦を繰り広げ、山の中腹の洞窟から兵を襲っては村を守っていたのだという。その村の初対面の挨拶は奇妙で、相手が痛がるほどの握力で握手し、同時に空いた手で相手の頬を殴る。そこで殴り返さない相手にだけ心を許すのだという。村の長老の94歳と90歳の兄弟はオスマン帝国からも村を守ったという。その夜は祭りで、彼らは十字架を掲げて裏山に登り、爆竹を鳴らしながら燃えるタイヤを斜面に蹴り落とす。炎に包まれたタイヤは夜の闇に浮かびながら斜面を転がり落ちて行く。村人は家族で集まり、夜遅くまで踊るのだという。
シリアは苛烈な歴史を持った国であり、かつてはユダヤ王国に隣接し、その後ペルシア帝国、ローマ帝国、各イスラム帝国、オスマン帝国を経てイギリスの支配も受けた土地であり、シーア派、スンニ派、キリスト教などの宗教がモザイク状に入り交じった土地である。
さて車はヨルダンに入り、ベイルートでひとりの壮年の男性に出会う。彼は12歳の息子を殺されたばかりで、悲しみに暮れていた。仲間は「復讐のために銃を取ろう」と言ってくれたが、実際に銃を手に取って、身動きできなかったという。彼はかつて、神を信じて内戦を戦い、幾人もその手にかけてきたそうだ。その結果得られたものは虚しさであって、息子を殺された今、その虚しさ故に彼は立ち上がった。各地の子供たちに会い、自らの息子の話をして廻っているのだという。信教が違えども同じ人間だから、争うことは無意味なんだと。もしも何か恨めしいことがあったとしても、そのときは今横にいる異教徒の友達の顔を思い出してほしい、と説いていた。息子の話をすると、「悲しかったでしょう」と子供は彼を慰めた。彼はまた涙していた。
私はそこでテレビの電源を落として、風呂に入った。
さて今も世界では息子を殺された親がいて、teenにもならない子供が銃を持っている。装甲車が僧侶を轢き殺し、鯨を食べることが野蛮だと言われ、数字の書かれた紙切れが人を殺している。そこにはテクノロジーなんて無意味なんじゃないかと、髪を洗いながら自分に問いかけた。