ネット上で何か発言するということ(この記事はフィクションであり現実の人物・団体とは一切関係がありません)

最初に結論言っておくと「悪口書くのは当然NGだけどいいことしか言わない奴もなんか信用できないよな、得に自分の利害に絡んでくるとき。まあ愚痴ばっかりもNGだし提灯ばっかりもNGだよ」ということ。

Aは会社員である。しかし同時にAはソフトウェア技術者であり、社内外のコミュニティで広く活動している。例えばブログを書いて技術の紹介をしたり、例えばTwitterでつまらないダジャレを書いたり、たまーにFacebookで当たり障りのない愚痴を書いたりする。社外の勉強会があればノコノコ顔をだして名刺をホイホイ交換してくる。必要があれば社外に論文を投稿したりもする。
しかし彼は一方で、企業に務める宮仕えの身である。よくTwitterやブログの端っこに「このブログは当人が所属する会社の公式見解ではありません」的なことが書かれているが、まあここでは会社の公式見解は関係ない。その企業を構成する人間が普段どのようなことを考えてオンラインに発信しているかが見えるという点では同じだ。つまり、彼を見ているネット上の観衆は、彼という葦を通してその葦を取り巻いている生態系がどのようなものかをネットを通して理解する。だとすると、「ウチの会社は◯◯がクソだ」という会社の悪口は当然吐かない。まあホテルのロビーで急にそんなこと言わないし駅の伝言板でそんなこと書かないですよね。とすると畢竟「ウチの会社は◯◯がいい」または「ウチは△だ」という話か、Aの個人的あるいは一般的な技術の話だけになる。それでAの人間性がよく分かるのならよいし、四角四面な企業広報のような態度になるかはAの性格次第だがそれがAだけでなく企業の評判にも関わってくるから難しい。極論するとTweetひとつするのに上司の許可が必要かもしれない。

某社のように事前承諾なく、プログラムのベンチマークテストの結果を開示することを禁止するのと大体同じことなんだが、何やら都合のよいことしか言わなそうだったりすると、さてそういうのを信用できますかということだ。特に、Aの会社に転職や新卒入社を考えている人が、Aが発信している情報を見た時にどう思うか。都合の悪い事実や噂が存在しないから発信しないのか、存在するが発信しないorできないのか、観測事実からはそれは分からない。まとめると

  1. 観測する限り都合の悪い情報は発信されてない
  2. 存在しない事実は発信しない
  3. →都合の悪い事実はその企業には存在しない

という推論か、あるいは

  1. 観測する限り都合の悪い情報は発信されてない
  2. 都合の悪い事実は都合が悪いという理由で発信されない
  3. →都合の悪い事実はその企業には存在する

という全く逆の二通りの推論になる。前者をパターンW(hite)、後者をパターンB(lack)としよう。A氏はどんなに頑張ってもこの両方の推論が成立しえる状況に居る限りは信用されないし、パターンBだと観衆が判断してしまえば所属する企業の評判を下げていることになる。何も悪いことを言ってないにもかかわらず、である。A氏に人間として魅力があって信頼できるというならパターンWに判断されることもあると思うので、日頃からダジャレを使って観衆の心を惹きつけるように心がけるべきである。惹きつけるのはよいけどくれぐれも引き攣らせないようにね。
まあそれで飛躍はするのだが、都合の悪い事実をあるとそれとなく認めながらも、それを上回って面白い事実が沢山あることを発信するのがよいと判断してここにこうしてフィクションを書いているわけだ。現実は三段論法よりも複雑怪奇なり。