適切な解像度で物事をみるということ

タイトルに書いてしまうと書き終えた気になってしまうのだが…大人として社会に生きる以上は何事にも目をつぶっていくことはできない。ある物事に対して、関わりが少なければボンヤリとした理解でいいだろう。関与が薄い場合は善意も悪意もなく無関心であるからだ。もちろん、例えば児童虐待のように無関心では済まされない問題もあるけれども、◯◯に無関心では済まされないというのは内容や社会のあり方によって変わってくるからだ。これは良し悪しの問題ではなく、単にそれぞれ時代や背景、事情があるということだ。

積極的に関わっていくのであれば高い解像度で対象を理解しなければならない。細部まで理解した上で全体最適になるような問題を定義して解決法を考えるのがよいだけなのだが、それをしないで、曖昧な理解のまま関与を深めていくと大抵事態は悪化する。そういうものは大抵「関与してる俺意識高くてハイアー・マインドかっこいい」といった自意識から生じるものが多く、そもそもそういった目的であれば詳細など不要であるから解像度は低いままで、なんとなくの理解で進んだ方がいろいろ都合がよいことが多い。

高い解像度で理解できるようになって初めて、その視点を再度遠くに戻して解像度をあえて下げることで大局的な理解もさらに進めることができるし、高い解像度に基いた根拠のある状態であえて解像度を低くして抽象的に考えることも重要だ。はー、Convolution2D勉強しなきゃ…