歩道を歩いていると、正面から自転車がやってくる。まあまあ人通りのある時間帯だ。とくに気にせず歩く。自転車も進んでくる。よけない。こちらもよけない。あわやぶつかる一秒前、こちらが躊躇して歩みを止める。自転車は少しだけ向きを変えてすれ違っていく。肩がかする。
歩道を歩いているときに、ふと道端の店が気になるのでよそ見をして立ち止まる。背中を何かがかすめていく。驚いて振り返ると、大きな大人が乗った自転車が颯爽と走り去っていく。
信号が青になったので、横断歩道を渡ろうとすると、横から自転車がやってくる。あちらが赤信号のはずだが、止まる気配がないので渡るのを躊躇する。自転車は颯爽と目の前を通り過ぎてゆく。
路上での自転車の危険運転は歴史的な背景や資格が必要ないこと、自賠責保険の加入義務がないことなどもあり、現在日本の都市部で最も簡単に利用できる移動手段である。わたしの育った土地でも、自転車で移動しないと高校から進学の選択肢が極端に少なくなったものであった。しかしながら、自転車での事故が簡単に被害者の人生を木っ端微塵に破壊しうるというリスクが一般的に認知されているとはいいがたい。
自動車であれば、資格をとる年齢が18歳以上であること、自動車を購入する財力があること、自賠責保険の加入義務があることなど、歩道をでなければ事故には遭いにくいことなどから、加害者になってしまうリスク、加害者になっても何の責任もとれないリスクはまあまあ低かった。ここ数十年の警察の取り締まりと国交省の制度設計の努力の賜物といってもよいだろう。
残念だが、自転車が歩道を利用してよくなってからはそうではなくなった。自転車が歩道を通るようになってから状況は変わってしまった。歩行者は、自転車に注意するどころか怯えて歩かなければならなくなった。接触して骨折で済めばまだ運がよい方だ。そういう危険を犯すくらいなら、なるべく自転車を避けて歩くだろう。実際、ぶつかっては困るので避けて歩くようになった。
自転車にのっていると、歩行者の顔はなかなか見えない。車道は危険だし路駐が多いので歩道を進むことにする。多少スピードを出しても、歩行者は道を開けてくれる。これならぶつからずスピードを出してもよさそうだ。おっとあぶない。でもスピードを落とすとまた時間がかかるし、着くのが遅れてしまう。もうすこしスピードをだそう。
なんかすげえスピードを出してる自転車がいるぞ。かなわんなあ。なるべく端っこを歩いて距離をとろう。くわばらくわばら。
お、なんか道が空いてるぞ。まわりもよけてくれるし、マナーのいい人ばかりで助かるな。ありがとうございます。急ごう。あれ、赤信号だ。人もよけてくし、車もまだ動いてない、よし行ってまえ!行けた。セーフ。こんなもんかな〜次もこれでいけるっしょ。
嘘をつくのは低コスト、嘘を検証するのは高コスト。この非対称性を利用して検証が追い付けない速度で嘘を重ね続けるのが嘘つきの生存戦略。そうやって生き抜いてくると、嘘を重ね続ければ普通の人は検証を諦めてくれるので、嘘はつき続けるのは正しいって経験則が出来上がる。習慣的な嘘つきになる
— 大澤めぐみ (@kinky12x08) 2014, 10月 10
この手合は、 自転車の運転による交通の危険を防止するための講習に関する規定の整備 なり、 取り締まり を強化してみたところで学ばないわけであるが。。。
路上だけでなく、周囲の人達への脅威や恐怖に自覚的に配慮できるようになりたいものですね。