ベルセルクのドルドレイ攻略戦で、鷹の団が川を背にして陣をとるシーンがある。グリフィスはそこで「後ろは川だ!退路はない!ここで踏ん張って勝つぞ」といった趣旨の発言で味方に発破をかけて大軍に勝つというシーンがある。人間が自分で何かを達成したいときも、似たような考え方をしてモチベーションを整えていく方法がある。大学受験に失敗して浪人をするとき、就職活動がうまくいかなくて留年するとき、卒業のための最後の2単位をとろうとするとき、などなど。一旦これで成功体験を得てしまうと、次の挑戦でも同様に自分を追い込んでからが勝負になりがちだが、良い子はマネをしてはいけない。
- 作者: 三浦建太郎
- 出版社/メーカー: 白泉社
- 発売日: 1994/03
- メディア: コミック
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いくつか理由がある。
グリフィスは勝つ見込みがあって勝負をかけた
何を言ってるか分からないと思うが、ドルドレイ攻略戦ではグリフィスは寡軍を更に分割して、別働隊を出している。鷹の団の本隊が押され気味になったときに要塞内の守兵を戦功を餌に誘き出して、守りがほとんどいないドルドレイ要塞は別働隊が簡単に占拠してしまったのだ。また、中世の戦闘では大将の強さが軍隊の強さを決める側面があるが、敵の大将のボスコーン将軍をガッツが倒してしまうのである。漫画の主人公が負けるわけはないのだから、グリフィスはそこも計算していたことだろう。漫画のキャラクターが漫画の外の事情を考慮することは一般にご都合主義と呼ばれるが、ベルセルクという漫画はグリフィスをそういう物理的制約の外側にいる神秘的なキャラクターとして漫画内で上手く描いている。そうやってお膳立てを全部整えた上で「退路はない」と煽るのである。つまり計算づくなわけだ。
ちなみにこの退路を断つ戦略は、私が知る限り「項羽と劉邦」で韓信が中盤で用いている(確か楚との一連の戦いの中で)。おそらくはどこかの古典に載っている戦術だと思われる。どうしてこれが成功するのかという戦史上の分析はリデル・ハートの「戦略論」にタップリと書かれているのでお楽しみ頂きたい。
翻って、自分がそういったことを考えるときに勝つ見込みは十分にあるだろうか?火事場の馬鹿力という言葉を信じすぎていないだろうか?自分が普段できないこと、していないことを計算や予測に入れてはいけない。もし入れるなら、火事場になって突然腰が抜けて動けなくなるリスクも計算に入れなければならない。
そんなことを考えた時点で本人は十分に真剣だ
鷹の団の士気が低かったとはいわないが、この方法はあくまで「大将が兵士たちのモチベーションを高めるため」に用意した状況である。自分が自分のモチベーションを高める、という風に自分を客体的に扱ってコントロールすることに使えるかもしれない。しかし、私の理解だとそれは必要以上にモチベーションを高めてしまい、思考を停止させる。そのような方法は持続的ではないし、人間はそんなに強くない。
他にも敵を誘き出すすためという目的もあったが、個人での内面のメンタル維持であれば、その状況を外から観測することはできないので敵はおびき出されないし、外部の状況が何か変化することはないから、好転することもない。
リラックスした方がパワーは出る
常に退路を用意しておく方がリラックスできる。「逃げちゃダメだ」みたいな有名シーンもあるが、それは本当に退路がどこにもない場合だ。大抵の人生では、退路や他の選択肢は本人が思っている以上に多く用意されている。ダメそうだったら早めに諦めてまた仕切りなおせばいいじゃない。ぼくは高校3年の冬に「えー、キミたちは大学受験まであと13ヶ月ありますが」とかセンター試験の一週間前に「ほんまに大丈夫なん?今年は諦めてまた来年頑張ってもええねんで」とか言われたことがある。冗談めかして言われたわけではなく真剣にだ。それはどうかと思う、というか、それを真に受けつつ真に受けないくらいの余裕をちゃんと用意しておこう。
たまにはスピリチュアルなことを書いてみた。