この問題、はっきり言えば、パイは決まってるわけで、年金を削る以外に方法はなくて、現状では年金を受け取れそうな人たちの政治的発言力が強い(投票率が高い)から出生率が低いんだろう。単なるトレードオフ。それに加えて、年金間近な世代は個性があんましなくて画一的で、一方の若い世代は考え方が多様化しててイデオロギーがまとまらないし、多様な考え方を汲み上げるシステムとかインセンティブがないから投票率も上がらないわけですよ。なんとかしないとね。
あ、いけね。本文にも触れないと。揺れてるのは国会の中だけで、世間は冷たい目で見てるだろうよ。それから、人間と機械の違いなんて突き詰めれば突き詰めるほど分からなくなってくるっていうのが最近の科学的な常識だと思ってたんだけど、政治的にはそうでもないのかね。「しかし、そもそも女性が子どもを産むということは、」なんていうテンプレ思考+そもそも論コンボがまた嗅ぐわしいというか、国会議員で電波浴。ま、なんというか、こんな駄文を発見したので記念パピコ。
★☆ 産むことと育てること ☆★
「女性は子どもを産む機械」と例えた柳沢厚生労働大臣の発言をめぐって、通常国会は冒頭から大揺れに揺れている。
少子高齢化が急速に進み、一方で一人の女性が一生に産む子どもの数を示す出生率は1.26とどんどん予測を下回って いく中で、将来の社会の活力や年金の制度設計がどうなってしまうのかと不安視する論調も多い。
しかし、そもそも女性が子どもを産むということは、お国のためでも社会のためでもなく、自ら選び取り、生命を育 む作業であって、またそのことによってしか生命は次世代にバトンタッチできない。男性もその共同作業の中で次世代 へと繋がっていく。母となり、父となる。もちろん子どもを望んでも得られぬ時もあるし、また産みたくても産めない、 さらには子を持たない選択もあるだろう。機械ではない故に悩み、迷い、戸惑いながら決断していく。
今日進行している少子化は、男女を取り巻く環境が「産む」という決断をとても困難にしているところから来るので はないか。そうであるなら、政治の役割は、男性に対しても女性に対しても望めば親となることを選び取れる状況を作 り出すことであり、女性=産む機械=機能アップさせる的発想とは到底なり得ない。