ソフトウェア特許を一度でも書いたことがある人間なら、ソフトウェアの特許という存在そのものが矛盾であるということを痛感していると思う。ソフトウェアの核心は数式やアルゴリズムなのに、特許法には「自然法則の高度な利用」にOriginalityと価値があると書かれているが、ソフトウェアの世界に至ってはありとあらゆる尺度が相対化され、何が高度な利用なのかというコンセンサスはどこにもない。少なくともその基準は審査官の中にしかない。
赤の女王のようなdog yearの世界では新技術はすぐに陳腐化されるし、昨日重要だった技術は明後日には不要になっている。そのような世界で出願から審査まで3年かかると、審査を通った頃には時代は次の次の技術へ目移りしているだろうし、20年先まで権利が保障されても何も嬉しくない。
「特許取得の手続きを進めるということは、どうやってマーケットに参入するかこそが本当に重要である時期に3?4年も待つということを意味する。特許の権利を主張するにせよ保護するにせよ、実際にそこにかかるコストは特許によって得られる利益を上回る」
状況としてはいわゆる囚人のジレンマになっていて、「みんなが特許出願をやめればハッピーになるが、誰か一人でも抜け駆け(&訴訟)すると、現行法制の下で彼の一人勝ちになってしまう」という状態だ。それを阻止できるのはルールを制定する側の立法・行政しかいない。そして立法と行政を支配しているのは、研究者や開発者ではない…。だからESP projectに期待したい。