ブックマークから生まれる出会い

私がブックマークを使っていて便利なのはannotationになるところ。ダイアリーの方に取り上げるまでもないネタについて一言メモできるのも非常に便利。そのコメントが今、問題になっている渦中での出来事だったわけだが、これも変化の過程で起きる摩擦のひとつなのだろう。実社会との対比で語られるのはいつものことだが、実社会と異なるのは、オープンでフラットな時空であるということ(時間について可逆ではありません)。

で、私と池田氏のような、普段絶対に触れ合う機会のない人間が悪い意味で袖を擦り合うことになる。良い出会いがあればその裏側に悪い出会いが10や100はあるもので、出会いそれ自体が良い結果になるか悪い結果になるか、サービス提供側は知りようもない。それを何とかできるようなアルゴリズムは不可能ではないような気もする(今頃、評判検索とかいろいろ始まろうとしている)が、そのシステムが社会的に受け入れられるかどうかはまた別の話だ。

では、擦り合った袖でなぜ簡単に炎上するのか?オープンでフラットでマスな世界では多様な人間がいるわけで、その全ての人とうまくやっていけるような問題を解けるのは余程の天才かデマゴーグであって、実世界にあるような少数対少数の付き合いならばある程度の解を導くのは比較的簡単だ。多様な人間の大部分が清濁併せ持っているわけで、それを選別・抽出できるようなシステムをはてなが目指しているのだろうとは思うけれども、果たしてそんなことが実現可能なのだろうか?で、そういう問いにYesと答えられないようでは、何もできないのだろう。