「人生は麻雀だ」の意味

簡単に言って、人生のメタファーとして麻雀は適している、という意味だ。将棋やチェスなどのような完全情報ゲームならまだ知能のないコンピュータでも何とかなるけど、麻雀のような不完全情報ゲームでは「ヤマを張る」ということが必要になってくる。Sparsenessのために機械ではどうにもならないこと(不完全情報ゲームなので)を、何だかよく分からない能力で解決できてしまうのである。よく「流れ」とか「雰囲気」とか「運」とか言われるものである。プレイヤーそれぞれの精神状態を完璧に考慮したモデルというのはまだ存在しないせいでもあるし、もしくは世界が非決定論的な法則に従って動いている傍証になるかもしれない。

もしかしたらSparsenessの問題を解決できれば統計的な時系列解析とかで上手くいくかもしれないけど、機械にあって人間にないもの、といえば直感(直観)である。これは、よくチューンされた統計モデルでも記述できないものである。いや、記述できてしかも計算可能な感じならAIでも何とかなるのかもしれないね。

翻って、人生も不完全情報ゲームである。相手の心やカードが読めるわけでもないし、そもそも測定不能だったり不完全だったりする情報をいかに読み切って相手を出し抜くかというのが勝負の肝になるわけで、これって要するに麻雀と一緒じゃん、ということである。ポイントになるのは、

  • いかに多くの情報を獲得するか
  • 限られた情報でいかに優れた判断をするか

である。これは相補的な関係であって、悪循環にもなれば良循環にもなり得る。

でも、中には麻雀に過適応しちゃったり人生に過適応しちゃったりする人がいるわけで、それってどっちも損だよなと思うのでありいます。後者は幾分かマシだが、それはそれで、場合によってはどこか本質を見抜けないこともあり得るので困るかもしれない。

というわけで、誰か麻雀しようよ。いやそんな余裕ないんだけどorz