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ビッグデータの倫理

これまで、個人のプライベートに関する情報は計算機の貧弱さと古典統計学の強力さの合間にあってほぼ安全といっていい状態であった。我々は大衆として形式化・典型化されて統計処理されていたが故に危険から遠かった。目立つことをして大衆から出る杭になると全く事情は違っていて、大衆の圧倒的な暴力によって車輪の下であwせdrftgひゅjとなっていたものであった。
…が、近年の計算機の処理能力の発展によって事情は大きく変わった。全体の傾向をつかむためのパラメータを定量的に評価するのではなく、個人にある程度フォーカスした計算(いわゆる全数集計・全数シュミレーションといった体のアレ)が強力な効果をもち、莫大な利益を齎すようになった。らしい。私も直接携わったことはないから知らん。

それで、個人のフォーカスすることができるということは、その情報処理能力によって危険も近くなった。昔から諜報といえば公刊情報の分析が6割以上を占めたものだが、その延長で公刊情報の分析を小ピュータにさせることによって諜報活動としてもコンピュータによる計算は強力であるということが分かるだろう。それでは、誰もが諜報や犯罪といった危険に近くなったとき、守るべきものは何か、正義とは何か、はたまた社会はどうあるべきか…といった哲学的・社会的な議論と合意をしなければならない。こと近代においては、科学技術はいつも人間の社会制度や哲学的認識の一歩先を行くものだから、なおさら急がなければならない。急いでどうにかなるものでもないかもしれないが。

とにかく、そんなときに我々に求められる倫理とは…という問題意識でこの本を読んではダメだ。どちらかというと実践的な内容で、ビッグデータ(笑)で儲けたい個人・法人がどのようなことを実践すればよいかが問題と対応付けてツラツラと書いてある。本書の目的はデータを正しく扱い、儲ける?ためのフレームワークをつくるのが目的なのだそうだ。

Ethics of Big Data

Ethics of Big Data

古典から現代の哲学や倫理学の流れの中で位置づけて議論した本が待たれるが、まあIT業界の人そういうことはあまり興味ないのだろうな。倫理学の許可を得てからでないと技術を実現できませんなんてのはゴメンだが、哲学界の人はもっと科学技術の知識を持っているべきだし科学技術界の人はもっと哲学書を読むべきだ。カネにならないけど、そうしたらもうちょっとよい世界になるんじゃないかと希望して。

「翻訳書の根本的な問題点は、ある言語から別の言語への完璧な写像は存在しないということだ。今のところ知性という写像を利用するしかなく、その翻訳書の品質は写像の知性に依存する」民明書房、"Why translation book sucks"

話はかわるけど、これが初めてまともに読んだ電子書籍iPhoneで簡単に読めるから悪くないのだけど、電車の中で10分ずつとか読むには若干…な種類の本ではある。