kuenishi on life miscellaneous

プライドについて
自分が半生をかけてやってきたことがあるとする。それなりに競争力があるといえばあるし、ないといえばない、いまひとつ中途半端なところだが、半生をかけてきたというプライドがある。プライドがある一方で競争力はいまひとつない。これを捨てた人生を歩むのは辛いし、かといってこれを捨てずに食い下がる人生というのはこれもまた辛い。どうすればいいか。
言い訳について
不注意で何かに失敗したとき、何も言わずに謝るのが真摯な姿勢だと思っていなかったことがある。今も思っていないが、他者に対してはどうもそうではないらしい。つまり、謝るよりも先に、誠実に過程や失敗の原因を示すことが大切なのではないか。という一方で、努力の偽装ということもあり得るわけで、そのようなことがないという信用があるのなら誠実に示すことの方が真摯なのではないか。謝るべきではないと言っているのではなくて、過程を示すというのが言い訳となるのだが、言い訳という言葉にはとても不誠実なニュアンスがあるのが許せない、とも思えるし、一方でムラ社会の住人の私としてみれば「申し訳ありません」が言えない人間はどうにも信用できないと思っているのも確かだ。
人間関係の軋轢について
私は社会における他者との関係性の中に生きているのであって、不都合な関係の他者だけをなるべく切り捨てて付き合わないように努めることができたとしても、不都合だが避けられない関係性というのもある。それを内面的な問題と捉えて我慢・泣き寝入りして解決とすることは簡単だけれども、その関係性自体を改善することができるかといえば、ケースバイケースとなってしまうのでどうにも無理のように思われる。果たして何か解決の方法はないのだろうか、と考えたがそこで鏡の法則などというものが頭をよぎったものの、自らの内面のメンタリティの改善というのは重要な手法のひとつのように思われる。
自己管理について
肉体の自己管理は重要である。それと同様に重要なのが精神の自己管理である。肉体の自己管理はある程度簡単である。世間には方法論が出回っていてGoogればよいからだ。一方で精神の自己管理は非常に難しい*1。信頼できる方法論も権威も存在しないからだ。結局、自分で試行錯誤を繰り返して方法を確立するしかない。その試行錯誤は誰もが挑戦することだが、精神の陶冶の完成度によって本人の器や能力が決定されるのは言うまでもない。運のいい人間であれば環境に恵まれて、よい精神が築かれるかもしれないし、悪い環境であればそれなりということだ。ではどのような環境が相応しいかということについては、これもまた難しい。

*1:心・体が揃った人間は一流になれる。技については訓練すればよい