メーデー祭りに行ってきたよ

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某社組合ノルマとして、1職場から最低一人の出席が求められて参加。都内某河川敷で、まあ千人くらいはいたかなという印象。天気がよくてとても暖かかったのがよかったです。花粉が大量に飛散しているようで洟が止まりませんが。。。さて、何しに行ったか? ということですが、よくわかりません。駅を降りて河川敷まで15分ほど歩くのですが、道沿いに、昨年と全く同じ場所に同じ政党が似たような候補者を立たせて何かを喋らせていました。目を見たら引き込まれる、と思ったので無視することにしました。本当は「やかましいんじゃボケ!」と叫びたかったのですが、その方が相手にも堪えるはずだし名前を覚えたら負けなので無視することにしました。そこには何もいない。何も聞こえない。

駅から河川敷に向かっての道沿いに、順にマルクス何とか→社民党→自民党→オオトリ民主党と並んでいて、見事な起承転結となっていました。

マルクス何とか

割愛。絶滅危惧種じゃないでしょうか。

社民党

「私も昨年まで、メーデーに参加しておりました。32年間、会社にて働いていました。※以下繰り返し」と叫ぶ中年〜壮年の女性。今はキレイなスーツを来てそちら側に立っているわけですね。分かります。彼女の後ろ側には、これまた高そうな背広を着て重厚なバッジらしきものをつけた中年〜壮年の男性が6〜7人並んでおり、男の陰の絶えない彼女に大変嫉妬しました、どちらかというと非モテに属していた私としては。

自民党

メーデーに関しては、やはり自民党の陰が一番薄い。彼らは労働者の味方ではないけど、この御時世で、本当に労働者のためになることは何だろう?と問い直すと、民主党のやらんとしていること*1と結果はそう変わらないかもしれない、とも思う。

オオトリ民主党

彼らはいつもここにかなりの勢力を割いてくるようです。バッジをつけた人が数人、並んでいた気がします。「このままでは日本はダメだ!だから民主党に投票しる!!11」という趣旨のことを話していたような気もしますが、何やら高そうなロータリークラブ的スーツを着ていました。いわゆる政治家ルックというやつだと思います(↑の、社民党の男性陣も着ていましたがね)。頭にはポマード。手袋してマイク持ってなんか怒鳴っていて、…。
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帰るときに同じ場所を通ったのですが、街宣車停めたまんまでした。早めに切り上げたので、まだ河川敷巡り握手ツアーやってたのでしょう。通行の邪魔だろうから、引き上げるときには河川敷の方へ移しておけばいいのに、と思いました。

労働団体が挙行にいたるのは1920年5月2日日曜日に第1回のメーデー(主催:友愛会 司会者:鈴木文治)が上野公園(現在の東京都台東区)で行われ、およそ1万人の労働者が「八時間労働制の実施」「失業の防止」「最低賃金法の制定」などを訴えた[8]。翌年からは5月1日となり、開催地や参加人数も増えていった。

本大会というか式典

私の所属する組合の場所はPAのようなものの陰になって、フロント舞台が見えていなかったので何をやっているのかよくわかりませんでしたが、どうやら「私に投票してくだしあ」と言っていたようです。昨年だと三多摩地区の市長面々が顔を出していたのですが、今年は確認できませんでした。

催し物

なんか、コージー冨田とか来てたらしいです。

組合そのものについて

もう、組合のレゾンデートルは「勝ち取る」ではなくて、「既得権益を守る」になってしまったんだなーと感じました。すなわち、これまでに獲得した週休二日制や、360時間協定、正社員の雇用など。昨今話題になっている非正規雇用者については、バズワードになっているだけで、真剣に取り組んでいるようには見えません。少なくとも、私の職場にいる「派遣さん」(研究開発業務ではなく、社員の事務処理などをサポートする)は、組合に加入していません。非正規雇用者の社会問題がとりあげられるようになってから、もう一年くらい経っていますよね?それなのに何の結果が出ていないということは、みんな口で言っているだけで、誰も本気で取り組んでいないのだろうと思われても仕方ありません。
その理由は簡単です。組合の中の人も、会社の中の人も、正社員だからです。政党の中の人はどうか知りませんが、正社員が実権のほとんどを握ってしまっていますよね。基本的に他人事なのです。
昭和時代の、「みんなの雇用が守られる」という価値観は、基本的に社会が発展し企業の収入および貨幣の価値が上がってていくことが前提であり、より多くの人数を投入すれば、それだけ収益が上がるケースが多かったようでした。しかし、ポストバブル・平成の時代にあっては、有限のお金をみんなで取り合うような状況になります。つまり、人件費に応じた収益の比率、いわゆるコストパフォーマンスが問題になります。そのために、コストパフォーマンスを向上するために人件費を削減するという選択肢が生じるわけです。人件費を削減する方法は二つあって、

  1. 優秀な人にはより多くの給料を払い、優秀でない人を解雇orレイオフ(組合は反抗するかもしれないが、効果は大きい)
  2. 優秀な人も優秀でない人も一律、基本給削減(ただし、レイオフはないので割と黙る)

があります。1.はよくある方法で、「リストラ」と言えば分かりやすいです(本当のreconstructionとは似ても似つかぬものですが)。一方、終身雇用制をやめられず*2日本は2.を選択する企業が多かった。2.においては、ロングテール効果というやつによって削減金額は割と膨大になり、人数が変わらないため業務の規模も縮小せずに済んで、人件費カットしておきつつ収益はそのままというオイシイ手段です。しかも、組合員を囚人のジレンマに追い込まずに上手くやれる方法です。つまり、組合は団結さえしていれば満足する半面があるので、波風起こさずに大きな効果が得られる、というわけです。
しかし、この方法のデメリットは、日本中の会社でチキンレースをすることになるということです。みんなの賃金が定価すれば、それだけ購買意欲および内需が低下します。内需が低下すれば、企業の売上は基本的に低下します。2.の手段をみんなでとる=護送船団に人が乗りすぎて船がみんな沈む、なわけです。これがデフレの本当の原因ではないでしょうか。
しかし、これから、環境パフォーマンスが品質を評価する上で重要なファクターになる複雑な産業構造では、いつまでも2.の方法論ではやっていけない希ガス。で、

  • 組合としては、団結していることに意義があり、組合員を部分的に見捨てることはできない
  • 団結の維持がますます困難になっている
    • 産業構造として技能やスキルが多様化し、競争力のある人は組合に頼る必要がなくなった
    • 組合のレゾンデートルが不明確になってきた(権利の獲得から既得権益の防衛へ)
  • ITやロボティクスによって多くのことが自動化され、時間単位で労働を定量化するのがますます困難になってきた

などの理由から、もうワケワカランくなってくるでしょう(オチなし)。
2.ではやっていけない、と感じた企業から、1.の手段をとり始めるわけです。そうすると、失業者がドカッと出て、経済格差は広がり、アメリカみたいになっていくのでしょう。

まとめ

*1:もしもそんなことが実在すれば、の話かもしれないが

*2:野党や組合が五月蝿かったから?一億総中流で横並びだから?

基盤系プログラマ

いわゆる基盤系のエンジニアリング技術について、私の場合は、今の会社に入社して2年間で徹底的に叩き込まれました*1C言語なんかは独習の範囲内であって、コンピュータに関する基礎的な知識が不足していると痛感しています。一方、Computer Scienceに関する基本的なトピックはシンプルなものが多いので、数学の素養と、大学で詰め込まれた技術があれば何とかなる感じがしています。

飽くまでも、ですが、OSとかRDBMSとか、全ては手段です。ビル建設でいえば生コンのようなもの。砂利とか。肝心なのは、自分が欲しいビルの理想をきちんと描き、実現までの手段・手順を整理する。理想としているビルができているかを確かめる。難しいのは、「そんなビルが技術的な観点から本当に建設できるのか?」を確かめながら進むこと。
あるいは、それらの技術を全て、日本語にしてきちんと表現すること、設計を周囲に伝えて合意をとること、こういった能力が不足していると痛感しています。
まとめると、

  1. コンピュータ(道具)を操作する手段(プログラミング言語)を使いこなせること
  2. ソフトウェアの目的を定め、技術的な実現性を確認し、漏れなく設計できること
  3. 上記のことを、日本語できちんと表現し、文書(資料)にできること

といった能力が会社や実社会では要求されていると思います。このうち、大学〜大学院でトレーニングによって学べているのは1.だけのような気がします。論文を書けば3.の能力も鍛えられますが、会社で要求されるのはやはり博士レベルだと感じています。

ここで言う基盤系というのは、OSとかRDBMSとかプログラミング言語処理系とか、そーゆー奴ね。アプリケーションプログラムとかWebサービスとかを支える縁の下の力持ち。その基盤を作るプログラマをどのように育てるかというお話。

まあ、ハッカー予備軍をどのように育成するか。ハッカーって、育てるとか教育するとか、そーゆーものではなく勝手になるものだから、そもそも、そんなものはありえないという議論もある。確かに天才というのは、天才なので、教育がどうだこうだということはないのだけど、一般的なプログラマというのは、一般的な教育プログラムである程度底上げ的なことは出きると思う。

例えば、PostgreSQLの開発者を考えてみる。ちょっとRDBMSに興味がある、だけどどこからとっかりをつけていいのかよく分からないという初心者がいたとする。今ある、OSS利用者教育プログラムをいくらやったところで開発者にはなれない。利用者教育プログラムの延長線上には開発者に必要なトレーニングはない。全くないといっては語弊があるかもしれないがほとんどない。

現在は、顧客企業はITシステムを、自社内に作っています。ハードを社内に置いて、それに対するシステム構築をSI企業に発注します。SI企業はOSとかRDBMSとか基盤系のエンジニアをほとんど抱えず、赤い帽子の会社のものとか、神託の会社のものとかOSSのものから基盤系のソフトウェアを調達します。つまり、基盤系のエンジニアはほとんど仕事がなかったわけです。しかし、これから、クラウドコンピューティングの時代になってくると、顧客企業はITシステムを自社内に作らなくなります。そうするとどうなるかというと、一部のクラウド事業者が、自社内のインフラ管理のための基盤系のエンジニアを必要とし、技術者を自社に囲い込もうとします*2。何せ巨大なインフラなので、基盤系からフロントまで垂直統合する必要がありますから、広い視野を持ったエンジニアが必要とされます。
つまり、標準化されたLinuxや*SQLのようなRDBMSの使い方にだけ通じていればよいのではなく、バックエンドシステムの特性(読み込み性能が高いが書き込みは遅い、書き込み性能が高いが強整合性は保証されていない、等)について通じている必要があったり、要求に応じて自分たちのインフラの設計や特性をきちんと考えて作る必要があったりします。そのときに、単にOSを使うだけじゃなくて、コンピュータの内部や分散システムに造詣の深い技術者が要求されるようになると思います。

このように、基盤系エンジニアは貴重な人材となっていきます。ただ、クラウドの技術は事業者に囲い込まれていきますから、技術の華やかな面が表に出ることはますますなくなるでしょう。ちょうど、製薬会社が薬学博士を囲い込んだり、自動車メーカーが内燃機関の研究者を囲い込んだり、という風にIT技術の見え方が変わってくるでしょう。ちょうど、10年前まではソフトウェアは全てプロプライエタリで、ソースコードも技術も囲い込まれ、ハードウェアも汎用機ばかりで技術者が囲い込まれていた時代に戻っていくのではないでしょうか。
というわけで、今の大学生の皆さんは、

  • 基盤系エンジニア - コンピュータの内部構造や分散システムに精通し、CやC++、アセンブリなどプリミティブな言語でコンピュータおよびネットワークを操作し、フロントエンドが使う基盤を整備する
    • →クラウド事業者に重宝される
  • フロントエンド系エンジニア - ブラウザの内部構造やプラグイン、業務に精通し、JavaScriptRubyPythonなど抽象的な言語でユーザに対する最前線を実装するが、クラウド技術にもある程度通じていて特性を知っている
    • →SI事業者に重宝される

のどちらかを目指すのがよいのではないでしょうか。大学の中の人は、こういう選択肢を学生に与えることも目指してカリキュラムを組む必要があるでしょう。クラウドをやろうとしている会社であれば、こういう協力は惜しまないことと思います。さらに、大学がきちんとした人材を輩出することによって、ソフトウェアエンジニアを始めとするIT技術者の地位が日本でも向上するのではないでしょうか。
他にも、組み込み系やセキュリティ系というのもありますが、そちらは私の専門外ということで、ひとつ。。。

それでは、日本国内にどの程度クラウド事業者があって、そこが必要としている人材はどの程度の量なのか?というところは定量的な評価が必要なので、少し難しいです。しかし、基盤系エンジニアが不要になるということはありません。

*1:ただしOJTに限る

*2:そして学生を青田買い