東京電力福島原子力事故調査委員会

東京電力福島原子力発電所事故調査委員会というものがあるのだそうだ。国会の調査委員会なのだとか。しかもそれが調査報告書を上梓したのだそうだ。私が最初にこの報告書の存在を知ったのはJames Hamiltonのブログ記事が最初なので、まずはそこからご紹介したい。
彼はがっかりするのに1ページもかからなかったと言っているが、我慢強い私はもう数ページ進むことはできた。彼の指摘によれば2ページ目でさらにガックリきたそうで、曰く

On the second page of this report, the committee members were enumerated. The committed includes 1) seismologist, 2) 2 medical doctors, 3) chemist, 4) journalist, 5) 2 lawyers, 6) social system designer, 7) one politician, and 8) no nuclear scientist, no reactor designers, and no reactor operators.

とのことで、つまりは医者・政治家・社会学者が事故調査委員会のメンバーなのである。この時点でどういう結果になるかというと、当然なのだが、事故の直截的・一次的原因の調査ではなく、副次的・間接的な影響の話にしかなり得ない。なぜこのような人選になったかは分からないが、その後に出てくる結論もさもありなんといったところで、あぁなんというか、日本を運営する上で科学技術の発言力は非常に小さいのだなと感じた。それとも原子力の専門家は保安院の人間しか見つからなかったとでもいうのだろうか。どうしてこうなったかは容易に想像がつく。つまりメンバーを選ぶ側が高度に政治的・社会的な問題と捉えているのであって、技術的な問題とは捉えていないのである。私は、ここに、日本人による、日本人の技術力への過信があると思う。

それで、ついでにもう一つの記事を紹介しておく。事故調査委員会の報告は日本の文化や風習に由来するものであり(”Made in Japan”とまで表現された)、これを根本から変革しない限り未来はない的なことが述べられているのだそうだ。私は基本的には国会事故調「日本文化論」についての一考察のスタンスに賛成なのである。つまり、そのようなことが結論づけられるのは技術・エンジニアリングの側面から事実関係を直截的原因と共に整理でき、それが日本人の国民性や性格に由来していたときである。翻って事故調査委員会の面子を確認してみよう。残念ながらリスク管理やエンジニアリング、品質管理や工業的オペレーションの専門家はいない(報告書の執筆は官僚の指導のもと別の技術者集団が行ったというなら納得もできるかもしれないが…)。したがって、残念ながらソフトウェア・エンジニアから見た原発事故と同レベルのものだとしか思えないのである。

さて報告書にある事故調査委員会の提言は、規制当局を国会が監視せよとか、危機管理体制を見なおせとか、国民の健康と安全に対する政府の責任を明確にすべきとか、電気事業者を監視せいとか、原子力法規制の見直しとか、第三者監視機関をつくれとか。僕も目次しか見ていないが、メタな話に終始していて、それでよいのかよくわからない。それに対してJames Hamiltonの提言は直截的・具体的である:

  1. 制御棒による核反応や原子炉の完全停止の後、外部の動力や操作がなくても自然冷却できる仕組みを設計すべきだった
  2. すべての核物質保管所は地震・洪水などの災害に耐えられるようになっていなければならず、外部の動力や操作がなくても安定でなければならない
  3. 監視系は独立していなければならない。本体が破壊されたり動作不能になっても正しく詳細な情報を入手できなければならない
  4. これらのシステムを頻繁にテストしなければならない。テストされないシステムは動かない。かなり頻繁にやらないと、肝心なときに動作しないだろう。

これができなかった理由から出発しないといけない。