ペルソナとか個人情報とか匿名とか

本人の属性と、本人の言葉、このどちらに重きを置くかというのが議論の焦点になっているわけだけども、思うに、属性というのは言動の積み重ねによって起こっているわけで、言わば本人の半生(と、発した言葉)の全ての情報が不可逆圧縮されることによって生まれたのが本人の属性である。だから、彼が今までどのような行いをしてきたか、ということが属性には現れてくるわけだ。この辺りは文脈のモデル化というか、履歴のモデル化というかそういった工学的な手法ととってもよく似てると思うんだけども、正確と万全を期するなら本人の言葉の全てを検証すればいい。全く逆に、最低限のコストで彼(やその言説)について基礎的な情報を得たいなら、属性を検証すればいい。

それは資源配分の問題であって、そこまで根本的な問題かといえばそうでもないと思う。相対的な問題であって。双方の適切な線形結合でもしてりゃいいんじゃないの。

厄介なのは、未来の彼の発言が信用できるか、或いはよくわからないことを彼が言った場合(情報が不完全な場合)に判断を下す際である。彼の属性(履歴)と、彼の言説が矛盾する場合にどちらを信用するべきか。それが矛盾しているのがそもそも信用できないというのはあるかもしれないが。そして現在槍玉に上がっている彼については、端的にそれらが矛盾しているから問題になるってことなのか。改心したかどうかが争点になるわけだけども。

現在槍玉に上がっている彼について個人的な感想を言えば、なんとなくそんな予感はあったんだけどね。文章が長い上にややこしいからRSS購読もやめちゃったよ。あんな量を扱えるっていうことは、あんまし仕事してないってことかもしれないからね。で、結果的に言えば、属性と言説が矛盾していたってことになるのかな?

最近は例の本(isbn:4791760468)にもあったことなんだけど、人材採用においては「少しでも怪しいヤツは採用しない」っていうのが基本方針になってることがある。つまり、「ハズレに見える当たり」を逃したとしてもそれは仕方ないということで、「当たりに見える当たり」の採用は当然として、「当たりに見えるハズレ」の採用を少しでも減らすために厳しい試験を課したりしている。そうすることで少しでもボロが出そうな連中を落とそうっていうわけで、false positiveを減らすってことだな。

「奇貨置くべし」なんてことにはそう簡単にはならんだろうし。その辺りのバランスについてベイズ的に言えば、事前確率(履歴)と尤度関数(言説)ってことだろうか。ああマンマじゃんか。そういうことだよ。全てはベイズ様が正しいのか。じゃ、ベイズ様の法則を捧げてあちこちにTBしてみよう。

信頼度(事後確率) ∝ 言説の信憑性(尤度関数)×属性の信頼度(事前確率)

まあ、対数でも取ればいいから掛け算だろうと足し算だろうと変わらないけどね。