線引き問題:理系と文系

(2009/7/20 - これは、2005年に私が当時の自宅サーバで書いた記事の復刻版です。archive.orgだけでなくここにも残しておこうと思って転載しました)
先に感想だけ書いておくと、懐かしいですね、若かったですね、の二言に尽きる。本文中の参考文献は今でもきっと参考になると思います。

疑似科学と科学の哲学

疑似科学と科学の哲学

本文

「理系と文系はどう定義されるのか」というような、この種の線引き問題は往々にして不毛な水掛け論に終始するケースが多い。さてコラム: 文系と理系 再びで起こった炎ははやしのブログへ飛び火して、そこで少し熱く燃えてらっしゃるようだ。どちらも、現在の理系/文系それぞれの方法論や特質をよく観察して、集団Aと集団Bに分けるための属性を見出して定義しようという極めて文系的な手法に基づいて議論を進めていたりする。

この線引き問題は簡単な話で、理系=Science及びその派生分野に携わる者、文系=それ以外。そんだけ。

そもそも言葉なんてのは恣意的な記号なのであって、それぞれの概念をすり合わせるだけの方法では、我々が共有している概念を抉り出すのはとても難しい。だから往々にして議論がもつれるわけで。で、こういうときは由来を辿るのが一番客観的で説得力のある方法。というわけで、由来を推測する※に「理」という言葉は漢語として解釈するのではなくて、外来の訳語と捉える方が自然だと思われる。要するにScienceの訳語として自然科学があるわけだが、昔の人は偉いことに「ことはり」という言葉とうまく符合させたわけだ。当時(明治頃か?)は「自然」なんて言葉じゃイメージがつかめないだろうし。で、それに携わる学問分野として「理科系」という言葉が派生してきたわけで。

これは現在の学問分野の関係性を考えてみても分かる。工学、農学、医学のいずれも理学の応用分野であって(近代初期までは別分野だったけども)、今は理学の成果(理論)を元に従来の経験的手法と併せて学問分野として確立されていて、その正当性、説得力、世界観を理学の成果に依存している。一方で文系の学問はどうか。文学、法学、経済学、歴史学、社会学、いずれもバラバラで、近代以降は同じ系譜としては存在していない。関係性はないとは言えないが、理科系の学問と比べては随分弱いように思われる。
 
「じゃあScienceって何よ?」っていう話になると思うけど、これはとっても難しい話になるので、ここでは割愛。続きはそのうち書くかも。書いたらここにリンクを追加します。

※由来を調べりゃ早いんだけど、そういう資料が手元にないし、某中央試験によって図書館にも行けないわけでして。ネットにも多分載ってないし。違ってたらごめんなさい。というか、そういう資料があるなら是非とも見たい。

以下細かいツッコミに続きます。

さて、Iwatam氏は少し議論が散逸しているように見受けられる。どうにか違いを見出そうとしてはいるが、結局は意味のない文になっている感じがする。

理系の人は、まず自然をよく観察し、実験をしてデータを集め、そこから法則性を導き出す。文系の人はまず人間をよく観察し、仮説を立て、それを現実にあてはめて正しいかどうかを確認する。

という記述があるが、結局違いがよく分からない。仮説を立てない実験なんて意味がないし、文系だってデータを集めることはある。そもそも理系では証明のための実験が不可能な分野だってある。ダーウィンもウェゲナーも、仮説について状況証拠だけはたっぷり揃ってるけど、実際に見た人間はいない。
 そもそも人間の思考は帰納と演繹が極めて複雑に絡み合っていて、それこそ一筋縄ではいかない。科学史を少しでも紐解けばすぐに分かる。それだけではケナしているだけなのでフォローしておくと、
「文系=バカ」とみなされるのは学校教育に原因がある
というのは本当だと思う。そちら方面に関わってくると、途端に指摘が鋭くなっている。
 それに方法論の違いを述べているようだが、はっきり言って方法論に違いはない。その点でははやし氏が正しい。どちらの学問も、目的は同じ:学会で同業者を説得すること。で、トンデモ科学はその対象が違うだけ:相手は素人。目的が同じだから、方法も自然と似通ったものになってきて、同業者を説得するためにデータや理論を見せたり、面白い解釈を発表したりするわけだ。
 最近はTransdisciplineなんて言葉も出てきて、Psycometricsとか社会科学とか経済工学とかいろいろある。結局やってることは同じだっていう証左になっている。

 トンデモ科学との線引き問題については、別に分かりやすくて面白い入門書( 疑似科学と科学の哲学 )があるので是非ともお薦めしたい。

 で、ここまでは学問の話。実際の社会では確かに理系と文系の思考や方法論で確かに埋められない溝があって、現に大きな軋轢を生んでいるし、それが教育に由来しているのも本当だと思うし、学問対象の違いにもよる。むしろ個人的には血液型みたいなもんだと思っている。個人の人格や思考の傾向と、理系/文系を関連付けて考えられるのって不毛だし。因果が複雑に絡み合っている事象をシンプルな概念で括ろうとするのは悪いことではないけど、さすがにall or nothingにまでするのは、今回ばかりは無理。

 最後にひとつ。ここは一介のプログラム書き手としてIwatam氏に強く言いたい。基本概念のないまま作ったソフトウェアなんて絶対に売れない。プログラムが文系に作れるんなら、自動車もテレビも是非とも文系の方に作って頂きたい。いずれも人間を対象にした商品ですから。

私の「プログラマは文系の職業」説もここから来る。制御プログラムみたいなものを除けば、最近のソフトウェアの多くは人間だけを対象としている。だから、文系の考え方をしないといけないのだ。ソフトウェアを理系の考え方で作ると、ごちゃごちゃしていて基本概念のないものができてしまう。

投稿者 age : 2005年01月16日 00:00

trackbacks

» 理系と文系 from Proving grounds of the mad Internet
はやし氏のエントリとあげ氏のエントリより。 この線引き問題は簡単な話で、理系=Science及びその派生分野に携わる者、文系=それ以外。そんだけ。 (あげ氏の定... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2005年01月18日 03:28

comments

事故レス。
投稿後に読み返してみると、実は論点がずれてることを発見。
やってもうた…。

投稿者 あげ : 2005年01月16日 01:33

あげさん(という呼び方でよろしいのでしょうか?)、はじめまして。TB、どもです。

で、私もあげさんと同様、学知としての「理系/文系」の違いは、その扱う対象に見出すしかないんじゃないの?と思っております。

ただ、世間での「理系/文系」の言われようは、そういう対象の差云々ってことではないよなあ、じゃあ何に基づいて「理系/文系」って言ってんだろ?ってのがあのエントリのそもそもの出発点で、それが書いてるうちに、学的知としての「理系/文系」の区別と、世間で言われている「理系/文系」の区別、っていう話が混ざり気味で、すこぶる混乱している、というのは自分でも指摘しているところであります。

iwatamさんとの議論が若干紛糾気味なので、私も「理系/文系」という区分け・呼び習わしのそもそも、という話をしだそうか、というところでした。「そもscientiaとは」とかね。

あ、またiwatamさんからレスが来た。

それでは。

P.S. 伊勢田さんの本、面白いですよね。

P.P.S. もしよろしければ、あげさんもコメント欄にご乱入ください。その方が、おもろそ。

P.P.P.S. うーむ、改行が効かない。お見苦しいでしょうが、ご寛恕ください。

投稿者 はやし : 2005年01月16日 02:30

あれ? 改行効いてる。おかしいな、プレヴューでは効いてなかったんだけど、ま、いいや。

つーことで、最後の間抜けなポストスクリプトゥムは無視してください。

投稿者 はやし : 2005年01月16日 02:32

PPPS(笑)は大丈夫です。どうかお気になさらずに。

>その扱う対象に見出すしかないんじゃないの?
そうなんですよね。ところが最近の学問では
人間社会すら自然現象と捉えるような分野も出てきてて
話が余計にややこしくなります。

>対象の差云々ってことではない
いや、これがやっぱり出発点になると思いますよ。
文科系は相手が人間だから人付き合いも上手くなるし
相手に合わせて思いやりのある思考ができる(笑)。
反面、物理的・数理的な思考能力や知識に劣っていると
思われるので(飽くまでも傾向として)、そういう話に弱い。
他方、理系は相手がモノだから基本的に話す・読む必要が少ない。
だから人間とのコミュニケーションが希薄になりがちで、
相手に伝わるような思いやりのある表現がなかなかできない。
物理的・数理的で論理的な説明さえできりゃ相手に通じると思ってるからね、連中は。

投稿者 あげ : 2005年01月16日 03:13

人間社会も自然現象、どころか、人間の考え方や感じ方といった「内面」も自然現象として捉えようとする、過激なコネクショニストもいたりしますからねえ(チャーチランドの奥さんの方なんか、その気があったような)。ま、区別が無いなら無いで、すっきりしてていいかも、とも思わないでもない。

で、世間で言われる「理系/文系」の差に関わる、学知的「理系/文系」の対象の差、言われてみりゃ、なるほどねえ、そういうこともあるよねえ、って感じです。最初の問題設定が、世間的な「理系/文系」の区分けを「理系=論理的/文系=非論理的」っつーふうに設定しちゃったんで、そういう視点は抜け落ちちまいました。

時間があったら学問のジャンル論(ってほどのものではないな。こういう沿革があるみたいですよぉ、程度の、サーヴェイのサーヴェイみたいなやつ)を書こうかなあ、なんて思ってます(実は昔、科哲業界をうろちょろしていたことがあるので、そういうバックグラウンドはないではないのです)。

それでは、またあちらででも。

投稿者 はやし : 2005年01月16日 03:30

http://hblo.bblog.jp/entry/119711/
うーん、お見事。出口を完璧に塞いでしまいました。
これであとは勝利宣言が出るだけですかね。

>学問のジャンル論
これは結構難しい話になるでしょうが、面白そうですね。
立花隆のような中途半端で終わらないように頑張って下さい。

投稿者 あげ : 2005年01月16日 04:13

>これであとは勝利宣言が出るだけ
うーん、どうですかねえ。まだまだ、というのは言い過ぎにしても、まだ続くような気がします。たぶん争点は「内省」というものをめぐって、というかんじになるんじゃないかな。

まあ、「内省 Reflection」というものを、それこそ「熟考 Reflection」するいい好機を得た、ってとこですかね。

投稿者 はやし : 2005年01月16日 15:30