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医薬品クライシス

僕自身は病院の世話になるようなことはなく、花粉症か胃腸薬しか利用しないものだからほとんど医薬品業界に興味がなかった。結婚してから妻子が病院の世話になることが多く(他から比べたら少ない方だろうとは思う)、医薬品業界に崩壊されても非常に困るので購入した。

医薬品クライシス―78兆円市場の激震 (新潮新書)

医薬品クライシス―78兆円市場の激震 (新潮新書)

前半は、医薬品とは何なのか、ここ30年の医薬品の研究開発はどのようにして行われるのか、世界中のエリートが不断の挑戦を続けて一生に一度当たるか当たらないかの世界だ。当たれば大きく、ひとつの薬が数百億円から数千億円の売上がある。大抵の製薬会社はそうやって当てた少数の薬で屋台骨を支えているということだった。

さて、近年の医薬品は小分子化合物の組み合わせで勝負するのが主流だった。せいぜい原子数十個くらいのピンポン玉くらいのものが、バスケットボールくらいの大きさの差がある生体内のタンパク質に作用して(阻害とかもろもろ)病原を断つ、あるいは緩和する。経口摂取がほとんどなので胃腸で消化されない、細胞膜を透過できる、他の蛋白質に作用しない、などの条件を兼ね備えた分子を見つけるためには膨大な研究開発費がかかる。
頑張ってみつけた新薬といえど特許が20年で切れるから、実際に利益を稼げるのは10〜15年程度しか見込めないから、その間にまた次の新薬を開発しなければならない。走るのを止めれば死ぬレースだ。
一方で新薬の臨床試験や審査はますます厳格化しており…という問題もあり。

そういった化合物は10の60乗程度の総数があると言われているが、めぼしいものはこの2〜30年で探索しつくしてしまい、よいものを見つけるための研究開発の賭金はどんどん上がってきた。なので製薬企業が合従連衡して巨大企業になってきた。ただし企業が巨大化しても新薬開発の速度は上がらず、大企業病が発生したこともありむしろ下がってきたという。
また、特に日本では研究者への敬意がないらしく、印象的なセリフがひとつあった。年間4000億円を売り上げるクレストールという薬の開発者に対する報奨金は当初たったの15,000円だった。その後1450万円支払おうとしたが、開発者の渡辺氏はこれを拒否して8億7千万円の訴訟を起こした。そのことに言及して、成果を出した研究者にはプロフェッショナルとして報酬を支払うべきだと筆者は主張している*1

渡辺氏の例でもわかる通り、中途半端な報酬は研究者のプライドを逆なでし、モチベーションを失わせるだけだ

このまま製薬企業の特許が切れていくと各社とも研究開発ができなくなり、医薬品の生産や医療の進歩は停滞していく…というのがクライシスの正体だ。

これ以降はネタバレなのだが、実は最後に希望を残しているのが本書の面白いところだ。まさにイノベーションのジレンマなのだが、実はバイオベンチャーは多く産まれてきており、既存の製薬企業はこれらの買収に躍起になっているという。バイオベンチャーを買収し、企業体力を生かして臨床試験、大量生産、認可手続きなどを行うことにより医薬品として実現する。イノベーションの正体は、小サイズの化合物ではなく、選択的機能を持った蛋白質を生産して体内に注射するタイプの医薬品が登場しているという。
これまでの小サイズ化合物とは異なり、生産が難しい(のでジェネリックの脅威がない)ので特許切れが怖くない、分子が大きいので研究開発がやりやすい、などのメリットがあり産業構造が変わるのではないかと言われている。

また、その後にはRNAの作用を利用した医薬品が、そのさらに後にはiPS細胞による医薬品が期待されており、後に続く弾は沢山ある。希望はまだ沢山ある。というとてもよい下げでございました。
これは、私の属しているITの業界でも同じことがいえるだろう。クラウドとかビッグデータという分野はおそらく事業者の統廃合を進めて、世界には5台のコンピュータだけが存在するようになる…というのがアナリストを始めとする有識者の考えだし私もそう思っていたが、そうなることは金輪際ないだろう、と思い直した。それが読後の変化だ。

*1:失敗するリスクもあり、報酬が低いのは保険料だという主張もある。私の考えでは、高い報酬そのものがモチベーションであってはならないが、低い報酬は研究者のモチベーションを下げる効果を確実に発揮するので報酬は低くてはいけないと思う