「日本はハードはいいけど、ソフトはダメ」

ということを語っていた人がいて、それはまあ数年前までは正解で最近だとSHARPが買われたりテレビがさっぱりだったら白物家電も結局は云々という話だが、ここ数年どころか十数年は語られていることについて思っているところを整理したい。つまり、いわゆるうぉーたーふぉーるで要件決めて納期決めて、仕様書を書いて見積りを立てて…というモノ作り的発想によるソフトウェア開発がどうして残念なのかということを主題にしたい。

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短絡的に考えるとこうだ。

  • まともな初等教育がされていないこともあり、プログラミングは数理的な計算の才能がないとできない
  • 発注するユーザーもリテラシーがないためまともな仕様を策定できない
  • 平均するとコーディング能力が低いので、人数を揃えて大規模開発にならざるを得ない
  • プログラミングや設計そのものよりもマネジメントや統括、品質管理が重視される
  • ハードウェアや物理デバイス、建築物に比べるとソフトウェアの品質は定義しにくい
  • プログラミングや設計が重視されていないため十分なテストができず品質が向上しにくい
  • 特殊な才能が必要なため、OJT等により身につけることが難しい→人材を使いまわせない
  • 優秀な開発者を揃えるためには雇用が流動的であるべきだが、解雇なんとか規制のためそうはいかない
  • 雇われている側も終身雇用の慣習に従って、真面目に仕事をしてしまう

というようなことを何となく思っていて、つまり原因はふたつあって

  1. ITが生産性の向上に必須なのに初等教育の学校では英語を話せない教師が英語を教えて塾では英数国理という古典的な科目を有難がって一生懸命学ぶとか*1
  2. 解雇なんとか規制+終身雇用の慣習があるので優秀な人材が評価されにくい、飛び級の少ないのも風土的には関係ありそうですね

のが、風が吹けば桶屋が儲かる的な因果関係の真ん中くらいにあるのかなあと思っていた。が、なんか短絡的だしこのままでは問題を解決できるところまで分析しきれておらず、何かちがうなあという気がしていた。そこに日本の解雇規制by野川忍先生という記事が出て、専門家の解説ということで読みふけってしまった。

現行の正社員に対する解雇規制を緩和すれば雇用が増えるという主張にはきわめて懐疑的であり、少なくとも解雇規制を緩和した際の雇用の質的変化について十分に考慮に入れる必要がある

というところだが、具体的な議論まではイメージできていなかった。まず、解雇規制など存在しないということ(あるのは整理解雇の4要件だけ)ということは、解釈によるがどうやらそういうことらしい。いわれてみれば制度としては存在しないわけで、ましかし、どうしてみんな律儀に整理解雇を諦めるんだろうという疑問は残るが。
企業の国際競争力や生産性という議論がされておらず失業率という視点でしか議論がされていないのは残念だが、冒頭に私が考えたような単純な事情だけではないことはリンク先を読むと分かると思う。その上でここでは、政治的な事情には触れられていないが、まあ労使問題はそれだけの問題ではなく、政治や社会が暗い影を落としているので事情は余計いっそう複雑で、We're Stuckという印象しか今のところ残っていない。
こういったところでピーキーながら新陳代謝が起きる制度が設計され文化が根付いている西アメリカはよいな、と羨ましく思うが多分そうじゃないんだろう。
さて希望はどこに?なくはないよ。

*1:いや古典は大切ですよ