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ものづくり、とは

日本の製造業の技術力および品質の高さと、それに対する矜持を象徴的に強調した、「製造」という言葉の代替語。
同時に、高度な技術を持った人間を安い対価で自由にコキ使うことができるという暗黙の不公平を隠蔽および美化するための言葉である。つまり猿もおだてりゃ木に登るということである。この「ものづくり」という言葉の矜持が分泌させる脳内麻薬は女性よりも男性、若者よりも老人で効果が強いらしいことが判明している。

「モノづくり」とは何なのか、が全く定義できていないと思いますし、きっと漠然と「モノづくり」を叫んでみたかったのでしょう。「モノづくり」という言葉は研究開発が終わり、実際の実装、製造のフェーズでは主に関係者の矜持として、品質につながる意味があるキーワードだと思うのですが、企画の段階で「モノづくり」を掲げるのは思考停止につながる、かなり危険なワードであるように思います。もしそのようなニュースを見かけたらほとんど意味がないことは認識しておいて間違いないと思います。

米国では製造業が思ったよりも雇用を生んでいないことを危惧する調査および議論も存在し(つまり機械化およびIT化が絶大な効率化をもたらした)、製造の本質は「より安いコストでより高い品質の消費材を生産する」ことであり、それは人間性や矜持とは本質的に無関係なことが分かる。それは旧時代の、製造業に携わる人間に対して、給料の代わりに矜持を支払うことで、雇用者は安いコストで高い品質の消費材を生産する手段に過ぎなかったのだ。この限りで労働組合による劇場型の交渉はガス抜きとして効果があるし、旧時代のシステムとしてはうまく動いていた。また、このシステムが上手く稼働してきた背景として、製造の工程が完全には機械化できなかった点にある。すなわち、わずかに労働者が工夫や技術、鍛錬を挟む余地があった。だからこそ、そこに自らの矜持をはめ込むことができたし、そこで品質に差をつけることができた。
一方で、IT産業においてはこのシステムは全く動作しない。ソフトウェア開発はものづくりではないためである。ソフトウェアにおいて製造工程は存在しない(ソフトウェア開発で言う「製造」は単に他に該当する言葉が存在しないからであって、「ものづくり」で言えば新製品の開発に近いと思う)。「ものづくり」という矜持を持って製品の企画・開発をしたら糸冬 了。
さらに、IT産業の中でもハードウェアの分野においても、このシステムは全く動作しない。チップが焼かれる工程は全自動だし、ハコを組み立てる工程は誰でもできるように設計されている。つまり、労働者が工夫や技術、鍛錬を挟む余地が全くない。つまり、労働の工程が完全に代替可能であり、そこに人間性や矜持を挟み込む余地がなく、「ものづくり」など成立しない。

バラエティ番組や当番組によって工場でのものづくりに興味を抱いた子供や若者は、将来自分もこのような工場でものづくりをするようになりたいと希望するようになる。大人になり職業を選ぶ場合に子供のころの希望をかなえようとするならば、それはすなわち、低賃金の非正規雇用労働者となることを意味しているのである。こうして子供たちは安くこき使われる人間となるべく成長していくのだ。

まとめ

「ものづくり」ということばをしゃべるおじさんにお菓子をもらっても、ついて行ってはいけません。