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チキチキ「知財立国」がちゃんちゃらおかしい理由 その1

知的財産の大きな柱は、著作権と特許権だ(この2つが根本になって巨大な利益を生むから)。著作権についてはMIAUに任せるとして、ここでは特許権について取り上げたい。これまで、特許について何度か愚痴ってきたが、本質的な問題は何だったのだろうか? 特許にまつわる苛立ちや混乱、困難の根本的な原因は何か? という問題だ。それは、

「発明とは何か」が誰にも分かり易い形で定義されていない

からだと思う。これができないなら、知財立国なんてちゃんちゃらおかしい。

数学とは元から存在するものを人が「発見」するのだろうか? それとも人間による「発明」なのだろうか?

この問いに明確な答えを出せない限り、特許法は説得力のあるものにはならない。特に演繹的な思考に基づく大陸法に基づいている限りは*1特許法には『この法律で「発明」とは、自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいう』としか書かれていなくて、ちっとも意味が分からない。これを解説する文書はどこかにあるのか。法曹と知財部の人たちだけのトップシークレットではないのか。

この問いが重要な理由

「○○計算法」「○○暗号」「○○圧縮」といったものは、莫大な利益を生む。しかしこれらは数学的な事実に基づいたものを応用したものである(つまり、科学的な事実とその応用から構成されている)。重要なのは数学的な事実を発見したことなのか、その創意工夫のある応用(アプリケーション)を考えることなのか、どちらかなのだが、どっちなんだ*2
前者の、新しい数学的事実やアルゴリズムは特許にはならないが、これ自体がイノベーションをドライブしていることが多いというのが、近年の傾向だ。
後者の応用・創意工夫は、技術の評価がとても難しい。何がUniqueであって何がUniqueでないかは、個別に議論するしかないからだ。「既存の特許や技術から容易に類推できる」という頻出イディオムがあるが、これを判断する基準は何かが全然分からない。
つまり、イノベーションを支えるのは数学的な事実やアルゴリズムであるにも関わらず、特許となるための要件は、応用や創意工夫なのである。そして「創意工夫」という言葉は曖昧な定義に拠っているのである。これでは技術を権利化するのがとても難しい。新しい数学的な事実やアルゴリズムは「発見」するものなのか、「発明」するものなのかは今後の知財政策の成果に大きく影響するだろう。「発見」であれば、特許(少なくともソフトウェア特許)は今後存在しえない。「発明」であれば、日本中の数学者が反発し科学の進歩は遅れるだろう。

コンピュータが発達するまでは、発明には「モノ」が必ずつきまとっていたので、応用の創意工夫はある程度自明であった(従って審査も容易であった)ため、このような特許法でも運用に耐えるものであった。しかし、ソフトウェアという新しいものが登場したときに、あのような特許法の改正で課題は十分に解決できたのか?と問えば結果として答えはNoだと思う。

これは単なる言い回しの問題だけではなくて、現実に特許とかの問題が絡むから問題になるってやつですよね。
「発明」するものであれば、「○○計算法」とか「○○暗号」「○○圧縮」が特許の対象になりえますが、
「発見」であれば、幾ら考え方や解釈に画期的な要素が含まれていたとしても、それは病名や昆虫の名前が特許にならないのと同様、広く世界の共有物になる。
最初に現実にこれが問題になったのは、確か線形計画法を解くアルゴリズムでしたっけ。

現実に即したこの問題の再定義としては、「数学上の大発見は、個人が発明した物として、その成果が15年間くらいの経済的な保護に値するか」ということになるわけで。大半の純粋な数学者は「そんなわけねえ」と思っているはずですが…

今後どうすればよい?

もしも日本が知財立国として確たる地位を築きたいという強い意志があるならば、発明か発見かという二元論を超えた次元で「知財とは何か」という定義を明確にし、知財を生みだす人たちに明確なインセンティブを与えることが第一歩ではないだろうか。今のところ、世界中のどの国もこの問いに答えられた様子はないので、これができれば、世界を一歩リードできるだろう。
残念なことに、知的財産戦略本部には上記のような問題意識は全くないように見える。

しかし、この問題はたぶんもっと複雑だ。上記のような根源的な問題だけではなくて、世界中の国で知財戦略の足並みを揃えなければならないという世界的な圧力(アメリカも負けるほどの)が、知財に関する問題を更に複雑にしている。

*1:英米式の判例法でやるなら、巨大な訴訟リスクと膨大な特許費用が必要になる

*2:両方か?