ソフトウェア特許について

特許法はよくわからない

特許は基本的に、モノとして世間に表出することがなければ特許とは認められない。特許法の運用上?は数学は自然法則ではないため、数学的な発明は特許とは認められない。ただし、それがプログラムとして実現されれば特許となりうる(詳しい議論や歴史があるようだ)。

第二条  この法律で「発明」とは、自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいう。

では、同じアルゴリズムで、全く違う実装のプログラムが登場したら、それはどうなるのか? 「類似製品」という括りで特許法違反となる運用なのか? アルゴリズムは発見するものであって発明するものではないが、特許をとろうとする側にとってはあった方が嬉しいものかもしれない…が、大抵の実用的なアルゴリズムはとうの昔に発見されているわけであって、ゴニョゴニョ。
と、思ったところで、ソフトウェアの世界においては、特許権の存在そのものがナンセンスだと思うようになった。ソースコードに特許権が発生するとして、ソースコードは公開しなければいいだけだ。バイナリ配布にすれば別に誰にも盗まれやしない。誰にも盗まれないはずのものを権利化して保護する必要があるのだろうか? 特許を取得したプログラムについて、製品のソースコードを公開した企業がどこかにいるのか?

特許法の根底の思想として、大昔のガス灯などの物質的な製品の構造(購入して解析すれば基本的にコピー可能)の独自性を保護し、発明のインセンティブとするものだった。法律が物質製品を想定して設計されている。だから、そこにソフトウェアという新しいタイプの製品について運用をしようとすれば当然不整合が起こってくる。ソフトウェアは、製品の構造に価値があるのか? その構造に価値があるとして、特許法で守ることが適切なのか? あるいは、現行の特許法で適切に保護できるのか?

悪名高いマネ下のアイコン訴訟

審査における、新規性とか進歩性の判断が甘い。あんなものがどうして特許になったのかがそもそも分からない。この業界はドッグイヤーの世界なわけで、その中でごゆるりと審査が行われて20年も保護される現行の特許運用体制もおかしいんじゃないかと思う。じゃどうすればいいかっていうとよく分からないけど、プログラムに関していえば特許権は必要なくて、著作権だけを保護していればいいんじゃなかろうか。

自然法則の定義

特許法では、自然法則とは何かが定義されていない。自然法則はこの世にゴマンとあるわけで。少なくとも、物理法則という意味での自然法則ならば、それは数学によって記述されている。我々の物理法則の世界はイデアの世界によって記述されているわけで、そのイデアの世界は主に数学や論理学によって構成されている。
しかし、イデアの世界を起点にして世界を観るのであれば、数学の定理なども"自然"の法則の一部である。とすれば、数学の定理についても特許権が認められるべきである。もはや発明である必要などない。ゲーデル不完全性定理にまで言及するなら、数学は自己がよくわからないとうことになる。特許法はよくわからないものに立脚しているのなら、特許そのものがナンセンスなのだ。だからパテントなんてものはこの世から滅ぶべきだ。ソフトウェア・パテントは地獄の業火に焼かれて滅ぶべきだ。若者よ、ソフトウェア・パテントを窓から投げ捨てろ!

曖昧な解釈

特許法第一条に関する説明@Wikipediaには、本文の5倍くらいの条文が延々と書かれている。法律を考えた人の言い訳みたいだ。法律の文章というのは法律の素養や専門家による解説なしには読めないようになっているようだ。だから私は日頃から"Take back the law"をモットーにしているわけだが、なんかもうどうでもいいや。↑上ではコンパイルしてバイナリにしてしまえばどうのこうのという議論を書いたわけだが、じゃあスクリプト言語はどうすんのよとか機械語だって読んで解析できなくはないわよとかいろいろ反駁があると思った。なんかもうでもいいや。

とりあえず、自分がソフトウェア・パテントを取る機会があればそんなのクソ食らえって思いながらとるし、可能ならGPLか何かで思いっきり配布してやろうと思う。その前に価値あるソフトウェアを発明できるようにならないとね。

引用

そんなことをして得をするのは弁護士だけだ、ということを知りながら「申請しなければ損をする」現在の特許法。「パテントやくざが甘い汁を吸うだけで文明の進歩になんらプラスになっていない」の現在のソフトウェア・パテント。

弁護士だけでなく、弁理士と知財部門のオッサンも得をするようです。