生産性2.0

日本人が金融を含む情報工学を馬鹿にし続けた結果、ずいぶんと差をつけられたなぁ、と。

それは激しく同意。なんというか、情報量とか期待値の概念がないというか、物事を定量的に考える習慣がないんだな。その習慣が偉い人になればなるほどないというか。だから宝くじや生扉株にアホみたいに群がったりBSE問題が一世を風靡したり、つい感覚的な判断をしてしまう。

それがどういうことに由来しているのかといえば、ムラ社会的な、村落共同体に依存した思考体系なんだろうと思う。生暖かく醸し出される空気に支配されているというか。自分の頭で判断しない。

で、それを破壊的に変革するイノベーションがインターネットであると思うのだが、まそれはおいといて。この場合、一人頭の生産額が問題になるんだけど、確かに、機械化された工場なんてのは途上国に比べてかなりチューンアップされている(というのが山形浩主の説明で知った話)。極限までいっているといってもいいかもしんない。で、それだけの生産性ある工場をデザインしたのは誰かということになる。つまり工場の設計者とか、プロセスの設計者とか、突き詰めていけばそういう頭脳労働者の生産性が一番キモになってくるというか、そこに全ての生産性が依存することになる。ここが全ての(工業的な)生産性の根源になるわけで、ここの基本スペックで日本はちょっと劣るんではなかろうかということだ。いやそうでもないか。どっちだろう。

で、そういう産業で生産された価値というか通貨を扱うのが金融になるわけだが、金融における生産性というのはちょっと分からない。上の議論と切り離して考えれば、億円とか億ドル規模の(機関|個人)投資家の生産性がそこいらの人間よりも余程高いのは分かるし、そういう金融商品のアイディアなんかでも大きく劣っているだろうというのは容易に想像がつく(偏見)。結局、誰が価値を生む(=金を集められる)のか?という風に短絡的に考えてしまうのだけど、これも、金の流れを(離散でも連続でも)流体場みたいなモデルで考えればいいのかな。

単純に考えれば湧き出し(通貨発行)はあるけど、出口はないから、通貨はどんどんたまる。で、その流れの中でポテンシャルが定義されて、ポテンシャルに従って貨幣は高きから低きへ流れて、というところでちょっと詰まる。他にも熱拡散+エントロピーモデルみたいなのも簡単に思いつくけど、もう誰かが考えているかもしれないし、よくわかんない。BS方程式を伊藤積分で解くと熱拡散方程式と同じ形になるとかなんとか、そんな話とも関係あるかな…?と思ったが、あれよりももっとグローバルな話ではある。