いじめ

すてきなポエムを拝聴する機会があった。イジメに関する報道はもう沢山だと、なるほど。そうです私も食傷してます。食傷気味なんてレベルじゃねえぞ!

ま、とにかく、直接の現象としては「いじめる側のメリットが大きくコストが少ない限り、いじめ発生は不可避だろう」でほとんど語りつくされていて、私が付け加えて述べるようなこともほとんどないのだが、

  • クラス内において自分達がボス集団であることの誇示
  • クラス内における幾つかの便宜の獲得
  • 優越感の獲得(心理的メリット)
  • 女の子からの視線

のようなことを虐める側が希求するのはなぜかといえば、それが人間の本質だからである。子供がこれらの条件を頭で意識してやっているわけがない。人間の本質というか本性が、子供においてはより顕著に、より残酷な形で表出しているだけである。違法か合法かは知らないけど、大人もこういうことやってるでしょ?

つまり、ローレンツが鏡の背面で述べたことなのだが、生物というのは個体が集合してひとつ上の階層の生命体を生み出す。

  • 核やミトコンドリアが集まって細胞を形成し、
  • 細胞が集まって多細胞生物を形成し、
  • 多細胞生物が集まって群れを形成し、
  • 群れが集まって種が形成され、

という風になっていて、それぞれの階層の単位で淘汰圧が働くわけだ。こういう、ある意味でフラクタルっぽい感じの構造が、人間社会でも形成されていると考えればよい。学校のクラスというのもひとつの集団であり、その集団の中でまずは権力闘争しようというのが人間なのだ。教室で一番になった後は、そこで君臨して小さく纏まるもよし、学年で一番を目指すもよし、近隣の学校をシメていくのもよし、とにかく、世界は広いのだ。誰だって、どこかで一番になりたいと思うだろう?

思わない、と脊髄反射してしまう人も多いだろう。では、どこでも一番ではない、誇れるものが何もない、自分を支えるものが何もない、という状況に人間は耐えられるだろうか? 大人にしろ子供にしろ耐えられないだろう。何しろ、リストラされて電車に飛び込んでる人間が未だ絶えないというこの時代である。そういった絶望が子供にまで波及したことの責任の第一は、権力への渇望を教えてやれなかった親に帰するものだろうと思う。教室で権力を得られなければ塾でのし上がればよい。塾で権力を得られなければ、サッカークラブに行けばよい。それがダメなら、…という風に、再チャレンジ(笑)の機会を誰かが与えてやらなければならなかったのだ。

ついでにもうひとつ、そういう弱肉強食の子供の世界で、いじめられたからといって何もできずに押し潰されていくような子供は、どこかで成長しない限りは大人になってもっと酷い目に遭うと思うよ。人類が言語を獲得して以来、そうやって生存競争(というか、性競争)を続けて進化してきたんじゃないかな。

えろえろえろ(嘔吐するリアルな音) Πフ°TL