若かった私

ふとした機会に自分の昔の記事を再び読むことがあった。私は記事の中であのJoi Itoを批判というか微妙にダメ出ししていて(根拠もなく)、どこも反論していない。ミーハーな私がJoi Itoを知らなかったこともかなり痛いのだが、知らずに批判しているというのも痛い。権威主義な私が知っていたとしたら批判をやめていただろうが、それはそれで痛い。うーん若かった。GLOCOMっていうのはああいう夢見がちなことを自由に述べていいところだったんだよね。うん。とはいえ、ああいう夢見がちなことに何か魅力を感じるかといえばあまり感じないようになってしまった。ということはつまり私も老けてきたということだろう。
何が誤っていたかというと、有望な萌芽というのは多様性の中から生まれてくるのだから、そういったことも適度に許容すべきなのだ。時間があればああいったこともきちんと自分で考えて検証してみたい←時間がなければつくれ