私がニーチェを信奉する理由

ツァラトストラかく語りき 上 (新潮文庫 ニ 1-1)

ツァラトストラかく語りき 上 (新潮文庫 ニ 1-1)

まず彼は19世紀の人間である。20世紀の分子生物学・進化生物学・社会生物学などにおける爆発的な進歩やその成果を知らない。

彼が言ったのは永劫回帰など色々あるけど、出色なのは法界悋気(ressentiment)と権力意志(Will toward Power)である。つまり、人間は権力者に嫉妬(ressentiment)しておきながら自らも権力を志すのである。それが人間の定めであり原動力にもなっていると言ったのである。詳細は(分からないから)省く。それで、そういったものを超越すべきだとして、それができるのは実は世間に倦まず人間愛に満ちた人間だ、としたのである。

で、この構図が、実は進化生物学によって裏付けられたと思う(んだけど誰も言及したのは聞かないから、実は大したことじゃないのかもしれない)。つまり、人間は実は進化と性競争の虜であって、サル以前の時代から続くオスとメスの戦いの結果、今のような社会が実現したということを述べたのが次の本。ちょっと古いけど。

赤の女王―性とヒトの進化 (翔泳選書)

赤の女王―性とヒトの進化 (翔泳選書)

その中で、「富=権力=より有利に生殖する権利」ということがデータや科学的考察によって示されていて、まあ、有利な生殖というのはメスを獲得する権利ということ。金持ちや有名人はいいオンナ(オトコ)をゲットできるというわけ。貧乏人は一般市民はそういった人間に何とか勝つために、彼らの仲間入りをしようと足掻くというわけ。その原動力としては「おれも勝ち組になりたい」という欲望とか嫉妬心が働いている、と。その手段として玉の輿とか逆玉とか不倫とか浮気とかいろいろあるんだけども。

構図としてはニーチェが示したものと変わらないわけですよこれ。これに気付いたときは感動だったんだけどもなぁ。分かってくれたのはまだ一人だけだな。一人にしか話してないか。

さて、ニーチェルサンチマンとか権力意志とか、こういったモノに吐き気を覚えて「クソ喰らえ」と言ったわけで、それってパンクネスでもあるよなぁと思うのです。生物としての定めとか業を見て、その輪廻(永劫回帰)から抜け出そうとしたわけで。ピストルズなんかも、当時のコマーシャルロック集金システム(富をゲットするシステム)を見て嫌気が差したんでしょう。で、その一つの終末としてシドの存在があるんだけども、それもハッピーなシナリオではないかもしれない。

じゃあどうすればいいのかっていう答えはまだない。ひとつは釈迦のような悟りだとか仙人の解脱でもあるかもしれないし、ニーチェ本人やシドのような発狂かもしれない。身近な答えとして、上に出た理解者の友人は、「おれは*社会的遺伝子*を残すんだ」なんてことをホザいていたような。

おれはどうするつもりかって?おれのような凡人はシステムの中に組み込まれるしかないんだよ。超人にはなれないね。4realですよ。どう足掻いたって、その構図から抜け出す見込みは今のところない。世に倦むというのは彼が否定したニヒリズムであって、それはデュオニソス的ではないと切り捨てたのであります。つーかニヒリズムですら権力意志の中に組み込まれていると。そういう宿命をどういう形で克服するか、というのがこれからの人類の哲学的課題である、ってことなのかな?

進化は結果でしかなくて、そこにデザインや素晴らしさは一切ない。人間が勝手に見出しているだけだ。だから、これからも進化するか、素晴らしいままであるか、という保証はどこにもないわけで、我々がナウシカのように「作られた生命であっても、生命は偉大である」と言う際は、これを必ず踏まえていなければならない。まずはここが悟りを拓いて超人になる出発点になるのだと思う次第であります。

        • -

しかしこの構図、考えたら反証不能な感じもしてきたなぁ。まあ進化生物学それ自体がそういうものだからいいんだけども。つーかこの永劫回帰から抜け出す方法なくね?なんつーか、述語論理的視点からして既に。諦めたらニヒリズムだし、かといって頑張ったら環に組み込まれてしまうし。