メディアについてよく書けたので残しておくことにする

ネット時代が全盛になっても新聞がなくならないのはその責任を担保できるだけのものがまだ備わってないということもあるんじゃないのかなぁとか

新聞紙がまだなくならないのは、一番大きいのはスイッチングコストとシフトの速度の問題じゃないかとは思う。

その下のレイヤーに信頼性とか責任とかの問題があるんだと思うけど、新聞が情報の信頼性を失わない限りは新聞というメディアは形を変えてネット上なりどこかに残るだろうし、情報の質という点でも、まだまだwisdom of crowdは追いつかない。だから、信頼のおけるestablishmentとしては、NYTとかftとかreuterとかbbcとか、他のメディアコングロマリット系のものとかは絶対に残る。

で、それに対してwisdom of crowdがそのような信頼性とか高品質の情報とか責任とかを定常的に供給できるようになるかというと、それは情報伝播と処理のフローから考えて無理なんじゃないかなぁとは思う。つーか、そういうestablishedなものが要求されずに、看板ではなく内容がすごいスピードと量で民主主義的に吟味されるから価値があるんジャマイカ。そのための方法論がやっとこさWeb2.0なんて形で整備されてきたわけで。

あと、新聞その他が*ゴフ*諸々の事*ゲフッ*情で表に出せないような情報が、ある意味での信頼度係数みたいなものを伴って出るようになるといいんじゃないかなぁ。てかなってるし。だから、今一番苦しんでいるのは週刊誌じゃないかなぁとも思う。ちょっと危ない記事書いたら訴えられたりしちゃうもんね。くわばらくわばら。