簡単、豚も魚も衆生なり、衆生に憐れみを持つのが慈悲というもの。
ま、しかし、私は世俗に生きるのでそうもいかなくなった。
それでも、自分が生きるために、できるだけ、命を殺さないこと。

これはガキの頃ちょっと考えたことあるけど、そのときすぐに結論は出た。植物だって生きてんじゃん、というだけである。その辺り仏教とかではどうなっているのだろうか。命を殺さずに生きるためには光合成するしかないんだと思うんだが。
殺した命の量の勘定を、光合成の量(持っているエネルギーのエントロピーの低さ)で定義するなら、確かに食物連鎖のちょっと上の方にいる動物を屠殺するよりも、植物を食べる方がいいんかなぁ(しかし「とさつ」が変換できないIMEって何なのよ)。ピラミッドの下の方から。なんか逆の結論になってしまった。
ん?でも、それって搾取な構造じゃねぇ?とか思ってみたりして。
効率の側面から邪推して考えると、仏教って実は省エネな生き方なのかもね。結局は効率の問題。ただ、仕事の総量で対決すると勝てない場合もある。ただこうなると、世の通説とはちょっと違った視点になる。釈迦はその辺りをとうの昔に見通していたのだろうか。他の概念に照らしても意外と矛盾しないのが恐ろしい。